365日の紙飛行機

365日の紙飛行機

が、朝の連続ドラマ小説「あさが来た」の影響もあって売れ続けています。元々は

唇にBe My Baby

のカップリング曲だったのに、アクセス数は現時点で既にこれの3倍以上です。私はラジオで「365日の紙飛行機」がずっとチャートインし続けているのを知って気になっていたのですが、ちゃんと聞いてみるとさすが秋元康さんの詩だけあっていい歌だな、考えさせられる歌だなと思いました。詩を一部抜粋しますと、

人生は紙飛行機
願い乗せて飛んでゆくよ
風の中を力の限りただ進むだけ
その距離を競うより
どう飛んだか どこを飛んだのか
それが一番大切なんだ
さあ 心のままに
365日


とあります。

長く生きることよりも、どのような生き方をしたかが大事なんだとか、様々な解釈ができると思います。どう解釈するかは人それぞれであり、人それぞれの解釈にケチをつけるつもりはありませんが、ただ私はやはり、

その距離、つまり人生が長かろうが短かろうが、
どう飛んだか、つまりどのように生きようが、
どこを飛んだのか、つまりどこで生きようが、
最後は必ず死ななければならない


という点に着目しなければならないと思います。つまりは後生こそが一大事であるというのです。長生きすること、どこをどのように生きるかということも勿論大事なことではありますが、必ず行き着くところの死、後生を抜きにしていては片手落ちというか、何のために生きてきたのか、最後は結局死ぬために生きてきたのかということになってしまいます。


蓮如上人は、この世はわずか一旦の浮生、五十年乃至百年の間のことであり、後生こそ一大事であると次のように仰っています。

人間はただ夢幻のあひだのことなり、後生こそまことに永生の楽果なりとおもひとりて、人間は五十年百年のうちのたのしみなり、後生こそ一大事なりとおもひて一帖目十通

人界の生はわづかに一旦の浮生なり、後生は永生の楽果なり。たとひまた栄華にほこり栄耀にあまるといふとも、盛者必衰会者定離のならひなれば、ひさしくたもつべきにあらず。ただ五十年・百年のあひだのことなり。それも老少不定ときくときは、まことにもつてたのみすくなし。二帖目七通

そして、常住の極楽を願うべきであるというのです。

人間は不定のさかひなり。極楽は常住の国なり。されば不定の人間にあらんよりも、常住の極楽をねがふべきものなり。五帖目十一通

そしてそのためには、何の造作も要らず、ひとえに後生を阿弥陀仏におまかせし、念仏しなさいと仰せです。

もろもろの雑行をこのむこころをすて、あるいはまた、もののいまはしくおもふこころをもすて、一心一向に弥陀をたのみたてまつりて、そのほか余の仏・菩薩・諸神等にもこころをかけずして、ただひとすぢに弥陀に帰して、このたびの往生は治定なるべしとおもはば、そのありがたさのあまり念仏を申して、弥陀如来のわれらをたすけたまふ御恩を報じたてまつるべきなり。一帖目十通

これによりて、今の時の衆生は、他力の信心をえて浄土の往生をとげんとおもふべきなり。そもそもその信心をとらんずるには、さらに智慧もいらず、才学もいらず、富貴も貧窮もいらず、善人も悪人もいらず、男子も女人もいらず、ただもろもろの雑行をすてて、正行に帰するをもつて本意とす。その正行に帰するといふは、なにのやうもなく弥陀如来を一心一向にたのみたてまつる理ばかりなり。
(中略)
かくのごとくこころうるうへには、昼夜朝暮にとなふるところの名号は、大悲弘誓の御恩を報じたてまつるべきばかりなり。かへすがへす仏法にこころをとどめて、とりやすき信心のおもむきを存知して、かならず今度の一大事の報土の往生をとぐべきものなり。
二帖目七通

他力の信心をとるといふも、別のことにはあらず。南無阿弥陀仏の六つの字のこころをよくしりたるをもつて、信心決定すとはいふなり。そもそも信心の体といふは、『経』(大経・下)にいはく、「聞其名号信心歓喜」といへり。
善導のいはく、「南無といふは帰命、またこれ発願回向の義なり。阿弥陀仏といふはすなはちその行」(玄義分)といへり。「南無」といふ二字のこころは、もろもろの雑行をすてて、疑なく一心一向に阿弥陀仏をたのみたてまつるこころなり。
さて「阿弥陀仏」といふ四つの字のこころは、一心に弥陀を帰命する衆生を、やうもなくたすけたまへるいはれが、すなはち阿弥陀仏の四つの字のこころなり。されば南無阿弥陀仏の体をかくのごとくこころえわけたるを、信心をとるとはいふなり。これすなはち他力の信心をよくこころえたる念仏の行者とは申すなり。
五帖目十一通

このように浄土真宗では、ものすごい時の速さに押し流されて矢の如く過ぎ去り、最後は必ず全てのものと別れて死んでいかなければならない人生に一つの方向性を与えています。信心を獲た後の人生は勿論死への旅でもあるが同時に浄土への旅でもあり、死とはただ死んでいくということではなく浄土へ生まれることだというのです。
強制することはできませんが、この世は無常であり、苦悩を抱えながらも生き続けなければならない、このような人生に何の意味があるのかと悩んでいる方には、是非とも本物の浄土真宗の教えを知って頂きたいと思います。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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