新入生の皆さんはこんな話に注意!(2)

新入生の皆さんはこんな話に注意!(1)の続きです。


それから、授業の時間割の作り方など色々教えてもらいつつ、人生の目的とは何かについて様々な話を聞きました。
今回は聞いた内容のいくつかをまとめて書いていきます。なお話される内容は順不同です。

最初は仏教、親鸞会ということは、私は話されませんでした。先輩になって聞かされたのは、これは仏縁を守るための「配慮」だとのことです。

※以前からの非難により、現在は勧誘の最初の段階で、仏教とか『歎異鈔』や『教行信証』に学ぶと触れる大学もあります。

※以下のような内容をサークルで聞いたら親鸞会の可能性が高いです。不安に思ったらコメント欄に聞いた内容やサークルの様子を教えて下さい。親鸞会である可能性を検討してみたいと思います。


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◎相対の幸福と絶対の幸福

日本のGNPは世界第二位、物質的にも恵まれた先進国であるが、自殺者は3万人を超え、特に中高年の自殺が目立つ。自殺と断定されただけでこの数だから、本当はもっと自殺者がいるかも知れないし、自殺予備軍まで含めるとその数は10倍とも、100倍とも言われている。

今が幸せという人は自殺しない。今が幸せになりたいのになれないから、今があまりにも苦しいから自殺を選ぶ。

なぜ幸せを求めながら幸せになれないのか。それは、幸福に相対の幸福と絶対の幸福があること、そしてその違いを知らないのが原因だ。

相対の幸福とは、他人や過去の自分など、何かと比べて感じることのできる幸せ。
金、財、地位、名誉、健康、家族、友人、恋人、才能などだ。
そういったものは、「他人」や「過去の自分」と比べて幸せを感じることができる。

ところが、こうした相対の幸福には欠点がある。

・続かない(色あせる)
・きりがない
・死が来たら総崩れ

欲望を満たす喜び、趣味や生き甲斐に熱中する喜び、仕事、恋人、様々な目標など、人それぞれにみな幸せになろうと必死に追いかけて生きているが、せっかく手にした幸せも色褪せうすれ、やがて何なる記憶に変色するか、崩れたり壊れたりしてなくなる運命を免れない。また、どれだけ求めても、もっともっとときりがない。たとえしばらく無事に続いていったとしても、死ぬときには何の明かりにもならない。

日本の歴史上、彼ほど成功したものはないといわれる秀吉も臨終には、「おごらざるものもまた久しからず露とおち露と消えにし我が身かな難波のことも夢のまた夢」と言って淋しく死んでいる。

このように相対の幸福ばかりを追い求める人生は、苦しむだけの一生に終わってしまう。

ではどうしたら幸せになれるのか。
実は、相対の幸福と呼ばれる幸福に対して、絶対の幸福と呼ばれるものがある。

絶対の幸福には、
・変わらない(色あせない)幸福
・比較する必要がないので一人居て一人喜べる
・死が来ても崩れない
という特徴がある。

たいていの人は相対の幸福ばかりを求め、絶対の幸福があることを知らないから本当の幸せになれない。

では絶対の幸福とは何なのか、
この絶対の幸福のことを、有名な古典である歎異抄では「摂取不捨の利益」と教えられている。
絶対に壊れない崩れない変わらない幸福のことである。

では、どうしたら絶対の幸福になれるのか、続けて話を聞いてもらいたい。



◎「なぜ生きるか、生きる目的、人生の目的」と、「どう生きるか、生きる手段、人生の目標」

私達は何のために生まれ、生きるのか。なぜ苦しくても自殺してはならないのか。これを人生の目的といい、平たい言葉でなぜ生きるという。

私達をより良く、より長く、より快適に生かすために全てのものは存在する。
政治、経済、科学、医学、芸術、文学、スポーツ、法律、倫理、道徳など、いわゆる「どう生きるか」「生きる手段」としてある。

では、そうやって生きる目的は何なのか?
「なぜ生きるか」「生きる目的」ということは、政治、経済などは答えてくれない。
答えをもっていない。

何をするにも目的あっての手段であるはずなのに、どうして一番大切な生きる目的は論じられないのだろうか?
たとえ論じられていても、それは「人生の目標」と呼ばれるものであることが多い。

人生の目標とは、とりあえず今はこれを目指すという人生の通過点であり、生き甲斐や趣味、生きる手段をいう。
大学合格、就職、起業、恋人を得る、結婚、マイホームを建てる、選手権大会優勝、金メダル獲得、などなど。
これらを手にいれた時は確かに安心、満足がある。
ところが、こうした「人生の目標」と「人生の目的」にはいくつかの違いがある。

 「人生の目標」    ・人それぞれ
・死ぬまで求道
・死によって総崩れ

それに対して、

 「人生の目的」
・万人共通唯一
・完成がある
・臨終に達成しても満足


「人生の目標」は、人それぞれ異なる。
そして、「越えなばと 思いし峰に 来てみれば なお行く先は 山路なりけり」で、また次、また次と目指さなければならないものである。越えるべき山路は人生に尽きない。これで終わったという完成がない。卒業がない。決勝点がない。死ぬまで求道である。
そのうち手にした幸福は、やがて色褪せ薄れるか、あるいは崩れさる。
最後、私達は必ず死んでいかなければならない。その時には全てが我が身から離れていく。
それでは一体何のための人生なのか?

「人生の目的」は、生まれてきたのはこれ一つという万人共通唯一のものである。「人生の目的」を達成すれば、人間に生まれてよかったという生命の大歓喜が味わえる。それは、どんなことがやってきても崩れない喜び、満足である。
これで求まったという完成がある、卒業がある、決勝点がある。死ぬまで求道ではない。
そして、臨終間際に達成しても満足して死ねるものである。


人生の目的と人生の目標はほとんどの人生論で同じ意味に扱われ、違いを知るのが大変である。

まずはこういった特徴の違いがあることを知ってもらいたい。

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(つづく)
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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