親鸞会会員の信心はある意味、絶対矛盾的自己同一

静かな劇場

が、最近更新されていたので覗いてみました。笑えるのが、

絶対矛盾的自己同一

の記事で

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私たちが根拠とすべきものは、あくまで親鸞聖人のお言葉でなければなりません。
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なんて書いてあるところです。それなら、最低でも親鸞聖人のお言葉を根拠として、


いつもの14項目


1.獲信していない人の死後はどうなるか

親鸞聖人 六道輪廻(19願・20願の同行は化土往生)
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高森会長 必堕無間


2.五逆罪・謗法罪について

親鸞聖人 造っている人と造っていない人がいる
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高森会長 造っていない人はいない、全ての人は生まれながらに造っている


3.善人と悪人について

親鸞聖人 善人と悪人とがいる
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高森会長 善人はいない、すべての人は悪人である


4.獲信のために善は必要か

親鸞聖人 念仏1つ、獲信に善は不要
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高森会長 善をしなければ絶対に獲信できない


5.白道とは

親鸞聖人 自力の心にあらず
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高森会長 自力


6.定散二善について

親鸞聖人 定散二善を捨てよ
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高森会長 定散二善をせよ


7.19願について

親鸞聖人 19願を捨てよ
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高森会長 19願を実践せよ


8.宿善について

親鸞聖人 過去世の善根の厚薄と、往生・獲信とは関係ない
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高森会長 過去世の善根の薄い者が、そのままで往生・獲信することはありえない


9.機の深信について

親鸞聖人 自力では出離できない
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高森会長 逆謗の屍と必ず知らされる


10.法の深信について

親鸞聖人 往生ほどの一大事、凡夫のはからふべきことにあらず
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高森会長 浄土往生が火に触ったよりも明らかに知らされる


11.善知識に無条件服従しなければならないか

親鸞聖人 法に従うのであって、人に従うのではない
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高森会長 善知識に無条件服従せよ


12.因果の道理について

親鸞聖人 罪福の因果を信じることは自力・仏智不思議を疑う心
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高森会長 因果の道理を深信しなければならない


13.三願転入について

親鸞聖人 聖道門の人を浄土門に導く方便が19願であり、19願の勧めはない
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高森会長 全人類は19願から始めなければならない


14.「一向専念無量寿仏」について

親鸞聖人 諸善を廃して念仏1つになること
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高森会長 阿弥陀仏1仏に向かって諸善をすることも含む



という、親鸞聖人の仰せと高森顕徹会長の主張の相違点について明快に答えて頂きたいものです。まぁ、

「如来の遺教を疑謗し 
 方便破壊せむものは
 弓削の守屋とおもふべし
  したしみちかづくことなかれ」


の和讃について間違ったことを3年以上修正もせずにほったらかしているブログですから無理でしょうけど。正しい意味については、『なぜ生きる2』のトンデモ邪義16等を参照して下さい。


会員の皆さんにも、狂った教えを聞いているから、別段矛盾でも何でもない二種深信を絶対矛盾的自己同一だなんだと誤解していることを知って頂きたいものです。そう言えば、親鸞会会員の信心はある意味、絶対矛盾的自己同一かも知れません。なぜかというと、高森会長の話をまともに聞いている人は、

A.善をしなければ信仰は進まない(=助からない)
B.善をしたら助かるというのは間違い


という、矛盾する2つのことを両方とも正しいと信じているからです。簡潔にハッキリ言ってしまうと、Aは「救いに善は必要」、Bは「救いに善は不要」だということです。

確かに世の中、

C.努力をしなければ成功しない
D.努力をしたら成功するというのは間違い


という、一見すると矛盾するこの2つはどちらも正しいと言えるでしょう。偉人と呼ばれる人達は、その伝記を聞く限り例外なく努力をしています。その一方で、いくら努力を重ねても成功できずに死んでいった人が数知れずいるのも事実です。いわゆる成功者は努力をしていますが、努力をしたから成功者になれるかは極めて不明確です。でも、成功したかったら努力するしかありません。
しかし、後者が何の約束も誓いも後ろ盾もない世間の成功についてであるのに対し、前者は「必ず救う」と誓われた阿弥陀仏の本願の救いについてです。こちらとしては必ず助けて頂かなければならない、そうでなければ未来永劫困る大問題です。「善をして助かるかどうかは極めて不明確だけど、助かりたかったら善をしなさい」なんて、阿弥陀さまは仰っているでしょうか? 本願に救われるのに善が必要なのか、あるいは不要なのか。必要なら、どの程度やらなければならないのか。そういう極めて大切な問題に対して、親鸞会は一方では「善をしなければ信仰は進まない」と説いて善もどきの善を勧めます。そこで会員は「善をしなければ助からない」「救いに善は必要」と理解しますが、もう一方では「善をしたら助かるというのは間違い」と説くので、会員は「善をしても助からないのか?」「救いに善は不要なのか?」と悩んでしまいます。ただ、高森先生に間違いないのだからと、会員は、一方では救いに善は必要だと信じ(何らかの形で必要だと思わなければ善はしません)、一方では救いに善は不要だと信じています。この矛盾したことを結び付けているのが高森信心です。

本当は、弥陀の救いには念仏一つ(念仏一つで助かるという信心一つ)、善は不要であって、そもそも親鸞聖人の教えにA.善をしなければ信仰は進まない(=助からない)なんてことが出てくる自体間違いなんです。

機に生れつきたる善悪のふたつ、報土往生の得ともならず失ともならざる条勿論なり。『口伝鈔』

ということですから、本願の救いに遇うのに善は不要、善の勧めはないのです。あくまで本願の救いに遇うのにですから、ボランティア活動などは本願の救いとは無関係とわきまえて、そういった慈善活動に意欲的な人は大いにやればよろしいでしょう。そんな下らないことで一々本願寺の揚げ足取りに勤しんでいないで、親鸞会には早く飛雲さんとの公開法論に応じてもらいたいものです。負け戦であることは火を見るよりも明らかなので応じないでしょうが。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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