世間の因果の道理と、報土の因果の道理をごちゃ混ぜにして邪義をまき散らし続ける親鸞会

この三連休は、プールや保育園の同窓会、遊園地、川遊びと出ずっぱりでした。他の家族と行動する機会も多く、親子共々相当疲れましたが、眠気との格闘で終始していたビデオ聴聞に比べたらもう雲泥の差です。助かる見込みも、信仰とやらが少しでも進んでいるのかどうかさえ全く分からない親鸞会の活動に費やすことなく過ごせるようになって本当に良かったです。あんな活動を続けたところで阿弥陀仏の救いとは無関係ですから、本当に後生の一大事を解決する気があるならさっさと親鸞会から離れることです。

親鸞会ではお決まりの因果の道理を盾に会員を獲信・往生とは無関係な活動に従事させていますが、会員の皆さんはそもそも親鸞会の教える因果の道理と、信心決定して報土往生するための因果の道理は全く異なるということを知らないためにまんまと騙されてしまっています。世間の因果の道理と、報土の因果の道理をごちゃ混ぜにして会員を騙し続けているのが親鸞会であり、高森会長なのです。

①自分は一体、何を求め成就しようとしているのか、静かに振り返らねばならない。家一軒、建てるのに、皆どれだけ苦労していることか。一生かかって建てられればよいほうで、果たせぬ人が多いのだ。たとえマイホームの夢がかなっても、マッチ1本で灰になるシャボン玉のような幸せであり、臨終には置いていかなければならぬものばかり。
われら親鸞学徒の求めているものは、そんな50年や100年の苦労や、3千万、5千万の金で手に入るものではなかろう。無始より迷い続けてきた魂の解決である。

『親鸞会公式ホームページ』龍樹菩薩と弥陀の本願より)

とか、

②「弥陀の救い」は、百年や千年の問題ではない、幾億兆年の迷いの魂を解決し、浄土往生させることである。
平生に往生一定の大満足を獲たならば、当然ながら「往生のために善をしよう」など微塵もないから「他の善も要にあらず」と言われているのである。
往生の一段のことであって、それを日常生活へ持ちこんで”善が不要”などと誤解するから、
仏法を破壊し世の中に猛毒をまき散らして平気でいるのだ。
因果の道理は宇宙の真理、ゴロゴロ怠け放題では人生の落伍者となるだけ。

日常生活の問題と往生の一段とが混在した文章(親鸞会.NETより) より)

とか、

 ③阿弥陀仏の浄土に往生するのは、弥陀の名号の独り働きだから、諸善や六度万行をやる必要がない。
“雑行雑修を捨てよ”とはこのことだと教えられている。
 後生の一大事は、名号不思議を聞信する一つで解決するが、暮らしの実態面はどうか。
 仏縁のない人達でさえ、悪を慎み善を励んでいるのに、仏教の根幹、因果の道理を無視して、善を修する必要がないと言っているのが真宗の惨状である。
 在家よりも悲劇や災難が多発して業苦に攻めたてられているのは、狂いない因果の道理の実証である。
 修善を往生の資助にしようとするから雑毒の善とか、虚仮の行と嫌われ、その機執を捨てよ、と言われているのだ。
 原因は厳しく結果を開く。
 善を実行しなければ、絶対に善果は獲られない。

『往生』と日常生活は別問題というなら・・・ より)

などなど。阿弥陀仏の救いに善悪は無関係であるのに、さも関係があるかのように、さも善をしなければ阿弥陀仏の救いには遇えないかのように、日常生活の問題をそこへ混ぜ込んで誤解させています。
会員の皆さんは、③に出てくる「善果」=「獲信」「報土往生」と脳内変換して理解していることでしょうが、報土往生の因果は全て阿弥陀仏の願行の成せる業であって、微塵も私達の善悪の入り混じる隙がないのです。そもそも親鸞会内では、世間の因果の道理と、報土の因果の道理は根本的に異なるということを知る機会がありません。それについて高森顕徹流因果の道理という迷信に書かれていますので、以下引用します。

親鸞聖人は報土の因果を、本願力回向で説明なされました。『教行信証』信巻

しかれば、もしは行、もしは信、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまふところにあらざることあることなし。因なくして他の因のあるにはあらざるなりと、知るべし。

(現代語訳)

このようなわけであるから、往生の行も信も、すべて阿弥陀仏の清らかな願心より与えてくださったものである。如来より与えられた行信が往生成仏の因であって、それ以外に因があるのではない。よく知るがよい。

この御言葉は、『浄土文類聚鈔』にもあります。

親鸞聖人が教えられた因果の道理とは、衆生が報土往生する因は、100%阿弥陀仏が用意なされたものであるということです。ですから、私の方で何かを付け加えることは不要ですし、付け加えようとすること自体が間違いになるのです。

蓮如上人が「金をほりいだすやうなる聖教なり」とまで絶賛された『安心決定鈔』にも

まことに往生せんとおもはば、衆生こそ願をもおこし行をもはげむべきに、願行は菩薩のところにはげみて、感果はわれらがところに成ず。世間・出世の因果のことわりに超異せり。和尚(善導)はこれを「別異の弘願」とほめたまへり。衆生にかはりて願行を成ずること、常没の衆生をさきとして善人におよぶまで、一衆生のうへにもおよばざるところあらば、大悲の願満足すべからず。面々衆生の機ごとに願行成就せしとき、仏は正覚を成じ、凡夫は往生せしなり。

とあります。世間の因果の道理と聖道門の因果の道理に超越し異なった因果の道理だということです。

親鸞聖人は『正像末和讃』に

罪福信ずる行者は
 仏智の不思議をうたがひて
 疑城胎宮にとどまれば
 三宝にはなれたてまつる


と仰っているように、世間・出世の因果と報土の因果とを同一視していることを疑心と仰っているのですから、高森会長の教えは疑心の教えであり、報土往生を完全に妨げる教えです。


これでお分かりのように、世間の因果の道理を強調されればされるほど、報土の因果の道理は理解しがたくなり、疑心を増大させることとなります。ですから、信心獲得して報土往生するには、因果の道理など聞いて実践している場合ではありません。高森会長の話など聞けば聞くだけ害ですから、親鸞会とはさよならして本願力回向の救い、今の救いを説く知識を探した方が断然よいのです。聴聞するのは直接話を聞くでもいいですし、音声を聞いても、本で読んでも、ネットで検索でも、どのような形態でも自分に合った方法を取られたらよろしいでしょう。何せ阿弥陀仏の名号は、十劫の昔からこの私一人助けんがために喚びかけられているのですから、なんまんだぶを聞くのに時や場所は選びません。只今、ここにいる、このままの私一人目がけて南無阿弥陀仏は働いていますから、私は何の計らいも無く救いの御名を頂き、その仰せのままに後生をおまかせするのみです。善を実践してそれが阿弥陀仏の救いに何らかの良い関係があるならいいですが、無関係ですから行ずる必要は皆無です。高森邪義に惑わされず、直ちに本願招喚の勅命に順って頂きたいと思います。
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No title

親鸞会の教えのおかしな所は善因善果、悪因悪果、自因自果である。
前に線路の中に倒れている人を助けるために駆け寄っていって自分が電車にひかれて死んだ人がいましたが、これは善因悪果と言えるのではないですか?
そんな事を言うとあの世も含めて善因善果が成り立っていると親鸞会は説明しますが、どの閉じたモデル(この世の中)でも証明できない事を何故成り立っていると言えるのでしょうか?
全く荒唐無稽ですね。

Re:ひろせ様

【考察】親鸞会の「善の勧めの実践」と「自因自果」
http://shingikensho.blog12.fc2.com/blog-entry-55.html

にて紹介していますが、親鸞会的因果の道理は、仏教の因果の道理とは異なることが指摘されています。詳しくはリンク先をご覧下さい。
この世の事象は様々な要因が複雑に絡み合っていまして、何が原因でこのようなことが起きたのか証明することが困難な事例もございます。因果の道理については私は突き詰めて勉強していませんので、詳しくはお答えできません。ただ、高森顕徹会長の盗作問題、親鸞会への非難を親鸞会自身の蒔いた種と認めないなど、彼ら自身が彼らの説く因果の道理すらまともに信じ実践していない事実を知れば、親鸞会という組織や彼らの教義がおかしいことがお分かりになるかと思います。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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