全ての人間が五逆謗法の者ではないし、宿善の厚薄にかかわらず獲信できる

最近、wikiarkにアクセスできません。原因はよく分かりませんが、どうしたらアクセスできるかご存じの方は教えて下さい。


さて、今回は「全ての人間が五逆謗法の者ではないし、宿善の厚薄にかかわらず獲信できる」ことを、親鸞聖人が同行に読むことを薦められている『唯信鈔』のお言葉から紹介します。

つぎにまた人のいはく、「五逆の罪人、十念によりて往生すといふは、宿善によるなり。われら宿善をそなへたらんことかたし。いかでか往生することを得んや」と。
これまた痴闇にまどへるゆゑに、いたづらにこの疑をなす。そのゆゑは、宿善のあつきものは今生にも善根を修し悪業をおそる、宿善すくなきものは今生に悪業をこのみ善根をつくらず。宿業の善悪は今生のありさまにてあきらかにしりぬべし。しかるに善心なし、はかりしりぬ、宿善すくなしといふことを。われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず、宿善すくなしといへどもふかく本願を信ぜり。逆者の十念すら宿善によるなり、いはんや尽形の称念むしろ宿善によらざらんや。なにのゆゑにか逆者の十念をば宿善とおもひ、われらが一生の称念をば宿善あさしとおもふべきや。小智は菩提のさまたげといへる、まことにこのたぐひか。

(註釈版聖典 1353-1354頁)

〔意訳〕
次にまたある人が言うには「五逆罪を犯したような罪の深いものでも、10回の念仏で浄土に往生するというのは宿善(過去世の善根)によるものだ。私の場合、過去世に善根を積んできたとは思えない。どうして往生することができましょうか」と。
これもまた愚かなはからいによって、いたずらに阿弥陀仏の本願を疑っているのです。それはどうしてかというと、過去世の善根の積み重ねが多かった人は、今生においても善根を修め悪業を造ることを恐れますし、過去世に善根を積み重ねることが少なかった人は、今生においても悪を好み善をしようとしません。その人の過去世に善をしてきたかどうかは、今生のありさまから、明らかに知られるのです。我が身を振り返ると、善い心がありません。宿善が少ないということが思い知らされます。しかし、そんな罪の深い者ですが五逆の重罪は犯していませんし、善根が少ないといっても、阿弥陀仏の本願を信じさせて頂いています。五逆の者の10回の念仏でさえも宿善のおかげです。ましてや一生涯念仏を称えさせて頂けるのは宿善(阿弥陀仏の方からのお手廻し)のおかげであり、有り難いことです。五逆の重罪を犯した者が10回の念仏を称えるのが宿善によるとし、私たちが念仏を称えるのは宿善が浅いと思うのはどういう訳でしょうか。浅薄な分別心が往生成仏の妨げになるというのはこういう考えのことでしょう。

宿善の厚薄 唯信鈔の言葉より)


五逆罪の定義についても当然知らない高森会長
パクリで大学者を演じても、聖教を全く読んでいないので簡単にボロを出す高森顕徹会長

等にあるように、全ての人間が生まれながらにして五逆謗法の者というわけではありません。お聖教のどこをどう読んでも、

「私達は六道を果てしなく巡り、その中で三悪道に堕ちる者がほとんどで、稀に五逆謗法という極めて重い罪を犯している者が無間地獄に堕ちる」

という意味にしかなりません。親鸞会が地獄を強調するのは、カルト宗教によくある手法で、地獄の恐怖を信者の心に植え付けて抜け出せないようにするためです。

「後生の一大事を解決したい」なんて、本気で思っているんですか?

にて書いていますが、このように指摘すると親鸞会としては「後生の一大事に驚かない自己が一大事。そんな自己に驚いて、後生の一大事の解決を求めるのが親鸞学徒なのだ」などということを言ってきます。確かに、会員として何年も活動していれば慣れっこになってあまり恐怖や不安を感じなくなります。ところが、問題はやがて会の組織や教義に疑問を持って脱会しようかとなった時に再び地獄の恐怖が頭をよぎるということです。中には一度脱会してから「やっぱりこの問題を解決しなければ」と舞い戻ってしまうという奇特な人もあります。私も大学4年の時、親鸞会の活動に疲れてやめようかどうしようかと悩んでいたのですが、「やっぱり死の問題を解決しない限り安心できない」ということで退会という道ではなくそこに留まって求めようという選択をしました。生苦、老苦、病苦、死苦、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦といった人間存在そのものの苦しみ、死後への不安といった問題は真実であり、会にいようといまいと変わりません。こうした、いわゆる人間の実相の部分が正しいと思えることをもって教義全体が正しいと思い込んでしまう人が多いため、まんまとその宗教に騙されてしまうのです。カルト宗教教祖の狙いの一つはここにあると見て間違いないと思います。


次に、今では「親鸞会流三願転入の教え」の影で見え隠れしている「親鸞会流宿善論」についてです。ただ、親鸞会発行の『教学聖典』にも載っており、特に古参の会員には根深い邪義ですので触れておきます。
「破邪顕正は最高の宿善」とか、「真実のために財施することは尊い宿善になる」というような文言で、親鸞会はかねてより破邪顕正(親鸞会に人を誘い、入会させること。要は人集め)と財施(いわゆるお布施。親鸞会に献金すること。要は金集め)を推進してきました。これもカルト宗教によくある手法で、「この教えを世界に広めることは自分だけでなく多くの人を救う素晴らしい善だ」などと教えて組織拡大を計るためです。
信者を組織拡大要員として利用し、人集めと金集めをさせるにはそれなりの理屈と根拠が必要です。まずは、自分自身が救われるのに役立つ、必要不可欠であること。そして、自分だけでなく多くの人が救われること。これらが共に素晴らしい活動であること。その根拠として高森顕徹会長が目をつけ利用したのが「宿善」だったのでしょう。

『親鸞会教義の誤り』宿善とは
『飛雲』宿善

にて詳細に述べられていますが、

・宿善の薄い者に信心獲得はありえないという教えはない
・宿善を求めよ、厚くせよという教えはない
・宿善の厚薄を問題にすること自体が間違い
・宿善の厚薄にかかわらず獲信できる


ということが言えます。宿善にはそれ自体にいくつも意味があり、分かりづらい点も多いのですが、少なくとも高森顕徹会長が主張していることは間違いです。それが、高森会長が断章取義している言葉の後にある、

われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず、宿善すくなしといへどもふかく本願を信ぜり。

にて分かるでしょう。私達の罪業は重く深いものであるが五逆の重罪までは犯していないし、善根が少ないといっても深く本願を信じる身とさせて頂いたというのです。この短いお言葉の中に、親鸞会教義の誤りが2つも指摘されています。大概は高森会長が断章取義している言葉の前後をよく読んで意味が分かれば、親鸞会教義の誤りなど簡単に理解することができます。しかし、そんな簡単なことも理解できないほどマインドコントロールされているのが哀れ親鸞会の会員なのです。「誰が何と言おうと高森先生が正しい」。いつの間にされたのか分からなくても、このように信じていれば、それはマインドコントロールされているということです。


今年の追悼法要も終わりました。去年は元気だった人が今年はもういない。今まで見送る身だった自分が、見送られる側になる。こんなことを何回聞いてきましたか? 今年も相も変わらず同じように話を聞き、組織拡大要員として活動して終わるつもりですか? そんなことを毎年繰り返している内に、人生終わってしまいますよ。それで本当に悔いはないですか?
本当に安心して死んでゆくには、本願に救われて阿弥陀さまに後生おまかせするしかありません。それは親鸞会に在籍していようといまいと関係ありませんが、高森信心根深いままでは親鸞聖人の教えられた本願力回向の救いは理解しがたいと思われます。それにインチキ創作教義を広める片棒を担いでいるのですから、そんな教えからは速やかに離れて本当の親鸞聖人の教えを聞かれるのがよいでしょう。マインドコントロールから解放され、本願を信じ念仏される会員の方がより多く現れてくれたらと願っています。
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No title

wikiarkはサーバーの問題で、アクセスできないだけです。親鸞会嫌いの管理人は、退会者まで嫌ってしまい、アクセスする多くが親鸞会に関ってきた人ということもあって、サーバーの問題を解決する気もあまりないようです。

>名無し様

ありがとうございます。管理者の方からブロックされて私だけアクセスできないかとも思っていたのですが、そうではなさそうですね。

No title

 先日、親鸞会の先輩だった人から何年かぶりに電話があり「会に戻る気はないか」と言われました。私は断り、親鸞会の教義の誤りや組織のおかしさ等
を例をあげて教えて上げました。
 しかし彼は「高森先生の教えに絶対に間違いはない。高森先生の言われる
ことだけが真実だ。いろんな親鸞会誹謗のサイトも知ってるがすべて出鱈目だ」
と言う。「じゃあ、どこがどういうふうに出鱈目なのでしょうか?」「ちゃんと、サイト
を読んだんですか?」と反論しても聞く耳を持ちません。しまいには「君は高森
先生の御恩をすっかり忘れてしまったようだね」と言って電話を切りました。
「ダメだこりゃ。」 私には空しさだけが残りました。
 高森信者からすれば、「高森先生の悪口を言う人間は絶対に許せない!
キーイッ!」とヒステリックになって部外者の意見に耳を傾ける気はないのです。
 これじゃ法論など望んでも無駄でしょう。
マインドコントロールの恐ろしさを感じた一件でした。
 

>後の名無し様

コメントありがとうございます。読ませて頂いて、私が退会して間もなく活動を共にしていた会員に向かってメールした時の、一部の会員の返信を思い出しました。「高森先生に間違いない」が前提での返事でした。それに返事をしても相手からは返事がなく、その時私も虚しさが残りました。

まともに法論したら、惨敗は目に見えているので彼らは聖教に基づいての法論には応じようとしません。負け惜しみに高森理論による邪義をまき散らすだけです。ただ、その先輩も今は篤い高森信者でも、これからどうなるかは分かりません。今回の事をきっかけに、いつの日か邪義に気づくかもしれません。今はとてもこちらの聞く耳は持たないでしょうから、いつかそうなってもらいたいと念じるだけです。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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