【考察】なぜ親鸞会会員は「高森先生に間違いない」と信じるのか

前回の記事にコメントを頂きました。ありがとうございました。

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 先日、親鸞会の先輩だった人から何年かぶりに電話があり「会に戻る気はないか」と言われました。私は断り、親鸞会の教義の誤りや組織のおかしさ等を例をあげて教えて上げました。
 しかし彼は「高森先生の教えに絶対に間違いはない。高森先生の言われる ことだけが真実だ。いろんな親鸞会誹謗のサイトも知ってるがすべて出鱈目だ」 と言う。
「じゃあ、どこがどういうふうに出鱈目なのでしょうか?」「ちゃんと、サイトを読んだんですか?」と反論しても聞く耳を持ちません。
しまいには「君は高森先生の御恩をすっかり忘れてしまったようだね」と言って電話を切りました。
「ダメだこりゃ。」 私には空しさだけが残りました。
 高森信者からすれば、「高森先生の悪口を言う人間は絶対に許せない! キーイッ!」とヒステリックになって部外者の意見に耳を傾ける気はないのです。
 これじゃ法論など望んでも無駄でしょう。
マインドコントロールの恐ろしさを感じた一件でした。

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熱心に求めている会員は、そのほとんどが先の文章に見られるように「高森先生の教えに絶対間違いない」「高森先生は間違いない御方」と、高森顕徹会長の教えこそが唯一正しい親鸞聖人の本当の教えだとか、高森会長は素晴らしい人格者だと信じています。そこで今回は、なぜ親鸞会会員は高森先生の教え及び人格を間違いない、素晴らしいと信じるのか、またどのようにしてこのような信心(以後「高森信心」と命名)が形成されていくのかを考察しました。とはいえ、勧誘のされ方は色々あるので、私の経験を基に大学で偽装勧誘されたケースで見ていきたいと思います。

まず、勧誘の初期時点では高森信心はありません。ですが、部会を重ねていくうちに先輩や講師との信頼関係ができていきます。これが初期段階では非常に大事で、辞めていく人と残る人を分別するものさしの一つとなります。例えば私を勧誘した先輩(恐らく現在は講師部員)は、ネットを見ていたにも関わらず先輩や講師部員との信頼関係ができていたために辞めなかったと言います。話や教義に納得がいくというのも大事なのですが、初期の段階ではそれよりもむしろ勧誘する側が「いい人」であるという方が重要です。その点、親鸞会に残る人の多くは優しい人、純粋な人、自分が騙されていることに気づかずに「何とか相手に分かってもらいたい」と願っている人であるため、勧誘を受ける側との間に信頼関係ができてしまいがちなのです。

次に、親鸞会であると明かされ始める新勧合宿時点です。ここで先輩や講師部員との信頼関係を軸に徐々に高森信心が形成されています。新勧合宿まで行く人は、部員との信頼関係の他、多少強引に誘われたにせよ人生の目的を知りたいと思う人、ある程度話に納得がいっている人です。合宿は短くても3~4日、長ければ1週間あり、それまでの部会の総復習に加え、因果の道理→真実の自己→後生の一大事と話を展開し、人生の目的は「後生の一大事の解決」であり、その答えは仏教・浄土真宗にあると持っていきます。そして、親鸞聖人の教えを今日、高森顕徹先生が誰にでも分かるように話をしているから、講演会に行こうと誘うのです。中には、コメントを頂いたひろせさんのように親鸞会的因果の道理に疑問を持つ人、それがきっかけで辞めていく人もいます。ただ、たとえ疑問を持っても、真実の自己や後生の一大事など、何か引っかかっていたり、納得している部分があれば続けて話を聞いていきます。

それから、夏合宿及び親鸞会へ入会していく時点です。人によって様々ですが、多くは「高森先生は親鸞聖人の教えを正確に説かれる善知識」という信心が大分出来上がっています。講師部員や先輩は高森会長を賛美する話ばかりします。また、著書や製作ビデオなどを通して高森会長がなぜ本願寺を飛び出したのか、どうして親鸞会を立ち上げたのかを知り、仏教について素人同然の新入生は「寺は葬式・法事に明け暮れて親鸞聖人の教えを説かない」「高森先生以外に今日真実の仏教を説かれる先生はいない」と信じるようになります。人間の実相部分についての話は概ね間違いないですし、『真宗聖典』などから根拠を挙げて話をするため、親鸞会で説かれる内容全体が正しいと思い込んでしまうのです。
ところで、私が参加した夏合宿では、後生の一大事の強調、教学(親鸞会発行『教学聖典』を覚えること)の推進、宿善、善知識の仰せに無条件服従すること、などを教えられました。「後生の一大事の解決には、親鸞聖人の教えを真剣に正しく聴聞して信心決定しなければならない。まず教えを正しく学ぶことが大事」ということで教学を推進されました。そして親鸞会流宿善論を持ち出し、「宿善を求めよ・厚くせよ」という邪義を、『御一代記聞書』から「善知識の仰せに無条件服従しなければならない」という邪義を徹底されました。これによって、「無間地獄を逃れて絶対の幸福になるためには高森先生の話を真剣必死に聴聞し、教学を研鑽し、人にも教えを伝えなければならない。これこそ全人類が救われるたった一本の道だ」と叩き込まれたのです。

あとは、講師部員や先輩・同輩と接し続け、高森会長の話を聞き続けることで高森信心がより強固なものとなっていきます。加えて、「ネットや外部の親鸞会誹謗情報は全てデタラメだ」「あんなもの見たら目が腐る」「匿名で、妬み嫉み恨みの気持ちで有る事ないことを書き連ねているだけだ」と吹き込んで、情報統制を徹底します。このようにして、外からの情報は全てデタラメだと耳を塞ぎ、内部の人間同士で馴れ合って、親鸞会の教えのみが正しいと信じる「親鸞会的人間」が出来上がります。私などは退会するまで直接高森会長と話をすることすらなかったのに、高森信心を持ち続けてしまいました。

これでお判りのように、親鸞会では講師・先輩との信頼関係、一部分の話に納得させること、周囲からの賛美、情報統制、継続して求めていくことなどをもって、直接接する機会のない人間を、「この御方に間違いない」と信じさせています。これをマインドコントロールと呼ばずして、何と呼ぶのでしょうか。ヘッドギア等洗脳用具を使わずとも、マインドコントロールはできるのです。
騙される方にも責任があるのかもしれませんが、一番悪いのは騙す側です。しかし、騙す側は悪いことをしているわけではない、相手を騙そうと思って騙しているわけではないところが厄介なところです。上のコメントにある先輩も、名無さんの後生を思って(あるいは入会目標人数のためか)電話をしてきたのでしょう。ただ、組織や教義の誤りを伝えようとしても全く聞く耳を持たずに電話を切られてしまったことから、完全に高森信心に支配されている様子が伺えます。

たとえ人間の実相部分が正しいと思えても、親鸞会教義はパクリと断章取義によるデタラメ創作教義です。インターネットという世界で最も開かれた場所で公開法論に応じないという点から見て、高森会長は自分の説く教義に自信がなく、勝利どころか逆に親鸞会の惨敗を世に知らしめる結果となることを恐れているのでしょう。そんな親鸞会や高森会長からは一刻も早く見切りをつけ、正しい親鸞聖人の教えを聞いて頂きたいと思うところですが、こちらの聞く耳も持たず、本願寺もみな間違いと信じ込まされているため難しいです。高森信心に支配された会員の皆さんは、どこまでもお気の毒です。
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No title

 私もなぜ自分が親鸞会に長く居残ってしまったのか考えてみました。
淳心房さんの仰ることに賛同するとともに、私個人のことを振り返ってみました、
まず一つは自分自身に自信が欲しかった。ということです。大学に入ってまわりを見ると20歳前後の若さなのに妙に自信にあふれているような人達がいるし
将来の進路を早くも計画しているいる人もいる。
 そういう人達を見て、自信の無い日々を送っている私はコンプレックス
のようなものを感じていました。そんな私に親鸞会の教えは自信を与えて
くれるものでした。「自分だけが死んだらどうなるかを知っている、その解決法も
知っている、計り知れない幸福になる方法も知っている。だけどこいつらは
今の快楽だけを追い求めることしか頭に無いんだ、死んだら地獄往きということも知らないで。」とコンプレックス解消の拠り所した面があったと思います。

 そしてもう一つの理由は親鸞会に居れば活動はきついが、 楽な面もあるからです。なにが楽かというと自分の生き方を自分で考え悩む必要が無いという楽さです。
会長や親鸞会のいうことさえ聞いていればそれでよいのだという楽さです。
実際、私は大学を留年し、就職活動もあまり出来ず二流企業に入ることになってしまったのですが、内心は「後生の一大事の解決の為だ。仕方ない。」
と開き直っていました。一般の人なら、「将来どういう進路にしようか、お金をどれだけ貯めようか、結婚は、保険金は」と頭を悩ますこともあまりありませんでした。
「後生の一大事の解決という大義名分」のもとに私は自分の生き方を自分で考え選択することを半ば放棄していたのです。その方が楽だったからです。
自分の怠慢を正当化できる口実を親鸞会に求めていたんだろうと思います。

 私はまず最初に親鸞会に勧誘され入会したのですがその前に他のカルト
集団から声をかけられていたらそっちへいっていたかもしれません。
上記のように 自信を与えてくれるものでありさえすれば。
 しかし親鸞会をやめることができ、正しい浄土真宗の教えを知ることができた
今になっては、私にも不思議な仏縁というものがあったのかなあと感慨深い
思いになる次第です。




Re: 名無様


コメントをありがとうございます。

>「自分だけが死んだらどうなるかを知っている、その解決法も
> 知っている、計り知れない幸福になる方法も知っている。だけどこいつらは
> 今の快楽だけを追い求めることしか頭に無いんだ、死んだら地獄往きということも知らないで。」

確かに私も、周囲の「どう生きるか」に一生懸命な人々を見てこのように思っていました。


> 「後生の一大事の解決という大義名分」のもとに私は自分の生き方を自分で考え選択することを半ば放棄していたのです。その方が楽だったからです。
> 自分の怠慢を正当化できる口実を親鸞会に求めていたんだろうと思います。

そういう面はありますね。私も「土日が休みだから」という理由で最初の就職先を決めました。聴聞、親鸞会の活動ありきの考えで、たまたま最初に通った企業へ就職しました。
ただ自分にはつらい仕事で、それと親鸞会の活動の両立はきつく、一向に求道が進まないので常に疑問を持ちながら過ごしていました。結果的にはそれがやがて親鸞会教義の誤りを素直に受け容れられる下地になっていたのかも知れませんが・・・。


>  しかし親鸞会をやめることができ、正しい浄土真宗の教えを知ることができた
> 今になっては、私にも不思議な仏縁というものがあったのかなあと感慨深い
> 思いになる次第です。

仰る通りです。お互い、ただ親鸞会をやめるだけでなく、正しい浄土真宗の教えを知ることができてよかったですね。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。一体どのような阿弥陀仏のお手回しかと感謝しています。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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