【ツッコミ】善知識方の語られなかったこと

親鸞会発行『顕正新聞』平成28年9月1日号の三面下に、次の文章があります。

善知識方の語られなかったこと

あの人は獲信した。
この人も獲信したが、
Aさんや、Bさんはまだだ。

こんな言葉が
飛び交っている所がある。

娘は7歳2ヶ月で、
甥は昨年の9月に獲信したと、
実名や年月を記したり、
語ったりされている。

善知識は、どこにもない。
ここで善知識とは、
親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人の
ことである。



以前から度々このようなことが言われ続けていますが、親鸞会で熱心に聞法し、親鸞会発行の著書を読み、『教学聖典』なるものを覚えている人は、上の言葉に疑問を持たないでしょうか?

まず、親鸞会発行『教学聖典(4)』には以下の問いと答えがあります。

問(16)
親鸞聖人が、信心獲得された時のことを明示されている御文と根拠を、二つ示せ。

答(16)
○愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて、本願に帰す。(教行信証)

○建仁第一の暦春の頃、隠遁のこころざしにひかれて源空聖人の吉水の禅坊に尋ね参りたまいき。真宗紹隆の大祖聖人ことに宗の淵源をつくし教の理致をきわめてこれを述べたまうに、たちどころに他力摂生の旨趣を受得し、飽くまで凡夫直入の真心を決定しましましけり。(御伝鈔)


問(18)
法然上人の獲信せられた時と処と、どんな御文を読まれていた時かを記せ。

答(18)
時-承安五年の春 四十三才
処-黒谷の報恩蔵の中
文-一心専念弥陀名号 行住坐臥 不問時節久近 
   念々不捨者 是名正定之業 順彼仏願故(観無量寿経疏)


これは、親鸞聖人や法然聖人が獲信した実名や年月を記したり、 語ったりされていることではないのでしょうか?


次に、私は『末灯鈔』を読んだことがありません、と高森会長が告白にありますが、

高森顕徹編『獲信の記録』(昭和24年発行)には、高森会長が獲信を認定したと取れる文章が書かれています。
また、高森会長は信心獲得していると公言した元講師を、すべて異安心と認定しています。
これは、「あの人は獲信した。この人も獲信したが、Aさんや、Bさんはまだだ。」と言っていることとどう違うのでしょうか?


②以下、引用。
********************
『末灯鈔』には、

・明法御房の往生のこと、おどろきまうすべきにはあらねども、かへすがへすうれしく候ふ。

・またひらつかの入道殿の御往生のこときき候ふこそ、かへすがへす申すにかぎりなくおぼえ候へ。

・明法御房の御往生のことをまのあたりきき候ふも、うれしく候ふ。

・なにごとよりも明法御房の往生の本意とげておはしまし候ふこそ、常陸国うちの、これにこころざしおはしますひとびとの御ために、めでたきことにて候へ。

・さきにくだしまゐらせ候ひし『唯信鈔』・『自力他力』なんどのふみにて御覧候ふべし。それこそ、この世にとりてはよきひとびとにておはします。すでに往生をもしておはしますひとびとにて候へば、そのふみどもにかかれて候ふには、なにごともなにごともすぐべくも候はず。法然聖人の御をしへを、よくよく御こころえたるひとびとにておはしますに候ひき。さればこそ往生もめでたくしておはしまし候へ。


と、明法房、平塚の入道、聖覚法印、隆寛律師という個人名を挙げて、信心獲得していた人だと親鸞聖人は書いておられます。親鸞聖人のこのお言葉をどう説明するつもりでしょうか。

まさか、信・不信と往生とは関係がないとはいわないでしょうね。

********************
これも、親鸞聖人が「あの人は獲信した。この人も獲信した」と言っていることではないのでしょうか?


それから、【検証】親鸞会における救済論に書きましたが、

会員の皆さんは、新しく人を誘う時、高森会長をどう説明しますか?
「高森先生は獲信の体験と深い仏教の学問を兼ね備えた善知識です」と話してはいませんか?
私は親鸞会製作ビデオで、「高森先生は18歳で信心決定(獲信)した」ということを何度も聞きましたし、講師部員や先輩からも聞きましたし、新人にそのように話をしていました。
これは、高森会長及び親鸞会会員が獲信した実名や年月を記したり、 語ったりしている
ことではないのでしょうか?


更には、親鸞会発行『こんなことが知りたい③』p.122には、以下の文章があります。

『御一代記聞書』には、堺に住んでいた日向屋という豪商は、三十万貫の大金を所持し豪奢な日暮らしして死んだが仏にはなれない、それに較べて大和に住んでいた了妙は帷一枚も着かねた貧乏人であったが、よく信心獲得していたから仏になるだろう、と蓮如上人は道破なされています。

これは、蓮如上人が了妙は獲信した、日向屋は獲信していないと実名を語られていることではないのでしょうか?


それと、こんな言葉が 飛び交っている所があるって具体的にどこなんでしょうかね?
これは、もうご存じの方も多いと思いますが、高森会長の出身母体である浄土真宗華光会のことでしょう。会員の皆さんにそれを知られたら会長の沽券に関わるので、敢えて団体名は出さずに非難しているわけです。
清森元講師などは、華光会の名前を出しただけで厳しく指摘を受け、学院送りにされています。

さて、上述のような内容、会員の皆さんは疑問に思いませんか? お聖教の御文や高森会長が過去に言ってきたことと、現在言っていることの整合性を図ろうとしても、もはや無理でしょう。先の読めない高森会長が、その場の思い付きで過去言ってきたことを忘れて話しているのですから、このように至る所で矛盾が生じてしまうのです。これを自業自得、自因自果、身から出た錆と言います。因果の道理を説くのなら、これ位は知っておいてくださいよ、高森顕徹センセイ。

ところで、このようにツッコむと、親鸞会はお決まりの詭弁を使って会員を納得させようとします。
機相・信相のプリントに関する質疑応答にて書いたようなK講師長の問答など、既にマインドコントロールから解放された人が聞けば「それで答えのつもりか」とすぐに詭弁を見破れるのですが、深いマインドコントロール下にある会員は「K講師長が仰るんだから」と自分に落とし込んで納得してしまうようです。会長や上司、教義に疑問を持つのは謗法罪みたく思っているのでしょうか、哀れなものです。無常の風に誘われる前に、気付いて頂ければよいのですが・・・。

以上、【ツッコミ】善知識方の語られなかったことでした。
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 蓮如上人は、「物を言え、物を言え」とも仰せである。

「物をいわぬ者は恐ろしき」「信・不信ともにただ物を言え」「物を申せば心底も聞え、また人にも直さるるなり。ただ物を申せ」

と、繰り返しおっしゃっている。

>名無し様

そうですね。

ろくに物も言えず、高森会長のその場の思い付き教義をその都度正しいと信じてゆかねばならず、過去との違いも脳内変換して正当化している会員の皆さんは哀れです。

こんな事では「我が信心は、人の信心は如何あるらん」という信心の沙汰は不可能です。

Re: 後の名無し様

間違いありません。

親鸞会でやっていることは信心の沙汰ではなく、高森会長の話の復習及び会長への賛美ですから。

え,逆では・・・と思ってしまった

 40年くらい前,某大学の学生サークル「歎異鈔研究会」に1年位所属していた者です.当時のサークルでの印象(講師の方の話の印象)からは,引用文

(善知識方の語られなかったこと・・・親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人のことである。[茶文字の部分])

は,誰かが歎異鈔研究会・親鸞会を批判している言葉のように聞こえました.

そうじゃなくて,親鸞会が誰かを批判している文章なのですね.混乱してきた・・・.

Re: 40年前の歎異鈔研究会部員様

それはそれは、どのような因縁か分かりませんが当ブログをご覧頂きありがとうございます。

「善知識方の語られなかったこと」という題の文章は、親鸞会が、主に「浄土真宗華光会」を暗に批判している文章です。

当時はどのような話があったのか、断片的でも記憶に残っているものがあれば教えて頂ければと存じます。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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