「凡聖逆謗=才能の有無、健常者・障害者、人種や職業・貧富の違い」では説明が不十分です(2)

「凡聖逆謗=才能の有無、健常者・障害者、人種や職業・貧富の違い」では説明が不十分です(1)

の続きです。法然聖人の教えをそのまま受け継ぎ、本願を信じ念仏する人ならば、どのような者であっても平等に救われてゆくということを親鸞聖人は、

凡聖逆謗斉回入
如衆水入海一味


と仰せられています。これを『尊号真像銘文』では、

「凡聖逆謗斉回入」といふは、小聖・凡夫・五逆・謗法・無戒・闡提、みな回心して真実信心海に帰入しぬれば、衆水の海に入りてひとつ味はひとなるがごとしとたとへたるなり。これを「如衆水入海一味」といふなり。

と教えられています。

凡聖逆謗

を、さらに詳しく

小聖・凡夫・五逆・謗法・無戒・闡提

と説明されています。小聖とは小乗のさとりを得た聖者および大乗の菩薩のこと、凡夫とは煩悩が具足しており、迷いの世界を輪廻するもののこと、五逆とは五逆罪を造っているもののこと、謗法とは仏の教えをそしり、正しい真理をないがしろにするもののこと、無戒とは戒律がないこと、闡提とは世俗の快楽ばかりを求めて、さとりを求める心がなく、成仏できない衆生のことです。最高の善を実現した仏陀から、最低の悪人までは無限の階層がありますが、今は小乗の聖者や大乗の菩薩といった優れた方々、煩悩具足の凡夫、五逆の者、謗法の者、無戒の者、そして闡提の者と六種類を挙げられています。親鸞聖人はここで、聖者や善人も、煩悩具足の悪人も、五逆や謗法の者も、無戒の者も、さらには闡提の輩に至るまでも、本願を信じ念仏する者は、罪の軽重、善根の有無・多少に関わらず平等に救われると仰っているのです。

さて、ここから分かることは、

親鸞聖人は「一切衆生の中には聖者や善人もいれば悪人もいる」と教えられている。悪人の中でも、五逆・謗法という重罪までは犯していないが煩悩を具足した悪人、五逆の者、謗法の者、無戒の者、闡提の者など、罪の軽重によって様々に分類されている。

ということです。親鸞会のような

「善人は一人もいない。全ての人は悪人である」
「全人類は逆謗の屍」


という主張は、親鸞聖人の教えには存在しない文底秘沈の珍説です。「一切衆生必堕無間」の邪義を正当化するために、高森会長が聖教もろくに知らず、大沼法竜師の味わいをそのままパクり、大学者を気取って言っているに過ぎません。

このように言うと、親鸞会側は決まって、

「そんなことを言うのは真実の自己が分かっていないからだ」
「自分のことを善人だとでも思っているのか」


などと反発してきます。親鸞会批判者は誰も「自分は善人だ」と思っているとか、「自分は真実の善ができる」などと言っているわけでも書いているわけでもないのに、そのように決めつけ、相手の主張を捻じ曲げてきます。【3.善人と悪人について】についてにて紹介している「知ってるから応えるよ」さんの主張はまさにそれです。念の為申しておきますが、淳心房は煩悩具足の悪人であると自覚しています。

また、善人がいるかどうかという議論を避け、

「私たちは悪人なんだから、悪人として仏教を求めればいいのではないですか」

と言ってきたり、そう思っていたりする会員さんも多いと思いますが、釈尊は善人と悪人とにそれぞれ何を教えられたかを知らないから「肛門に目薬」的な親鸞会の教えを真受けにしてしまうのです。今はそれを

『浄土真宗親鸞会は、親鸞聖人のみ教えと同じか?』③善人・悪人について

より引用します。

********************
問い

善人が存在するかどうかという机上の空論よりも、私たちは悪人なんだから、悪人として仏教を求めればいいのではないですか。

答え

善人を認められないから、おかしな理解をするのです。法然上人は「わが身は最下の凡夫にて、善人をすすめ給へる文を見て、卑下の心おこして、往生を不定におもひて、順次の往生を得ざるなり。しかれば善人をすすめ給へる所をば善人の分と見、悪人を勧め給へる所をば我分と見て得分にするなり。かくのごとくみさだめぬれば、決定往生の信心かたまりて、本願に乗じて順次の往生をとぐるなり。」(勅修御伝)と判りやすく教えられました。
悪人が、善人に対して説かれた教えを自分に関係があることと誤解したなら、救われないということです。


問い

善人に対して説かれた教えと悪人に対して説かれた教えが違うというのですか。

答え

釈尊は機に応じて法を説かれたのですから、違います。これを対機説法、応病与薬といいます。存覚上人が「如来はすなはち良医のごとし。機をかがみて法を与へたまふ。しかるに上根の機には諸行を授け、下根の機には念仏をすすむ。」(持名鈔)と教えられた通りです。「上根の機には諸行を授け」、つまり善人には諸善を説かれ、「下根の機には念仏をすすむ」、つまり悪人には念仏を勧められたということです。
下根の機に諸行をすすむ」と頓珍漢なことを言っているのが、高森会長です。

********************

この通りです。教義上下根の機に諸行をすすむと言っている高森会長の教えが如何に「肛門に目薬」的な教えかお判り頂けるでしょうか? 間違った薬をさも良薬のように処方して診察代と薬代を取る悪医そのものです。世の中に善人と悪人がいるという当たり前のことを認められないために、会員の皆さんは世間の人々を「どう生きるかしか知らない人達」と見下す傾向にあるだけでなく、その後の

・獲信のために善は必要か
・定散二善について
・19願について
・宿善について


など、親鸞聖人の教えにおいて重要な部分を全てと言っていいほど誤解してしまうのです。獲信のためには念仏一つ、善は不要であり、定散二善は「捨てよ」、19願も「捨てよ」、宿善を求めよ・厚くせよとの説示は無いというのが親鸞聖人の教えです。


今回もまた大分長くなってしまったので、続きは記事を改めて書くことにいたします。
ちなみに、最近参照している『お坊さんのつぶやき部屋』、まだ三分の一も目を通していませんが、これはいいです。もっと早く出会いたかったです。正信偈の意味を、親鸞聖人のお言葉を挙げて詳しく説明されています。読まれれば分かる通り、『「死んだら極楽、死んだら仏、念仏さえ称えていたら死んだらお助け」が本願寺の教え』などという高森会長や親鸞会の主張は全くのデタラメです。このように親鸞聖人のお言葉を通して他力の信心を解き明かされる知識が少なからずおられるということを、会員の皆さんには知って頂きたいものです。

【参考文献】
『お坊さんのつぶやき部屋』凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味
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Re: 秘密コメント様

高森会長は「勝他」のための法論を本願寺にけしかけていたに過ぎません。本願寺に教義的誤りを指摘され、よほど悔しかったのでしょう。それで、本願寺が相手にしないのをいいことに勝利宣言をして、「高森先生以外に真実を説かれる方はいない」と既存会員や新規入会者にアピールしてきたのです。

ただ、それが通じたのも過去の話です。「宗教問題」の本でそのことは暴露され、インターネットで教義も組織も、高森会長の人格も、親鸞会とは糞に金粉を塗りたくったようなものであったことが明かされています。特に教義は明確にデタラメ創作教義と分かりますから、会員の皆さんには些細な疑問点からでも教義を一つ一つ調べていってもらいたいところです。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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