新入生の皆さんはこんな話に注意!(4)

新入生の皆さんはこんな話に注意!(3)の続きです。

※西洋哲学や儒教家の言葉、日本文学者、哲学者の言葉なども取り上げて、偏りのないように話をしてきますが、注意が必要です。

※以前からの非難により、現在は、勧誘の最初の段階で仏教とか『歎異鈔』や『教行信証』に学ぶと触れる大学もあります。

※以下のような内容をサークルで聞いたら親鸞会の可能性が高いです。不安に思ったらコメント欄に聞いた内容やサークルの様子を教えて下さい。親鸞会である可能性を検討してみたいと思います。

※『なぜ生きる』、『光に向かって100の花束』など一万年堂出版の書籍をゼミ(部会、ミーティング、講座)で用いていたら親鸞会だと思って間違いないでしょう。


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◎いろは歌

「我々の生活で欠くべからざる思想は あるいは『いろは』短歌 に尽きているかもしれない」(『珠々の言葉』)
と芥川龍之介はいっている。
実は人生の目的が、いろは歌に教えられている。
いろは歌は、仏典の言葉を翻訳したものといわれている。対応させると以下のようになる。

色は匂えど 散りぬるを(諸行無常)
我が世誰ぞ つねならん(是生滅法)
有為の奥山 今日越えて(生滅滅已)
浅き夢見じ 酔いもせず(寂滅為楽)

・色は匂えど 散りぬるを 我が世誰ぞ つねならん

どんなに美しく咲き誇っている花も、やがて色あせ散るときがくる。この世の一切のものは、常がなく移り変わっていく。これを諸行無常といわれる。諸行とは、すべてのもの。無常とは常がなく変わり通しであること。
そして、どんな盛んな者も必ず衰え滅んでいく。栄枯盛衰は世のならい。世に常なるものなど何一つないのである。生あるものは必ず死に帰し、形あるものは必ず壊れるのが世の道理である。


私たちは、何かをたよりにし、あてにし、心の支えにして生きている。
夫は妻、学生は親、または学歴や社会的地位、お金、自分の能力・才能、恋人など、人それぞれ何かを頼りにして生きているのが私たち。何かをたよりにしなければ一時として生きてはいけない。

しかし、そのたよりにしているものが、本当にいつまでも支えになるものなのか?

「諸行無常」といわれるように、全ては変わるもの、私から離れていくもの、裏切っていくもの。

そして、頼りにしているものを失ったとき、人は苦しみ悩む。

ただ、失うときだけが苦しみなのではない。やがてかわってしまうものを支えにしていると、いつか失うのではないかと今から不安でビクビク。こころからの満足がない。

世界三大美人の一人、小野小町は「面影の変わらで年のつもれかしたとえ命に限りあるとも」という歌を残している。自分の美貌が変わってしまうことが不安だったに違いない。普通は自分の命が永らえることを望むが、命に限りがあっても面影が変わらないで年を取りたいとうたっている。

たとえ、支えにしているものがしばらくあったとしても、自分が死んでいくときは全てを置いて丸裸で死んでいかねばならない。

「この世をばわが世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば」と詠み、藤原家の全盛期を築いた藤原道長も、臨終には迫り来る死を恐れて、阿弥陀仏の臨終来迎を期する儀式を行い、死んでいった。
死んでいくときは金も財も名声も一切当てにはならない。全て置いていく。
これでは、一体この世に何をするために生まれてきたのだろうか?

・有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔いもせず

苦しみ悩みの充満した人生を、今日越えたということがあるのだ。それは浅い夢のように儚くおぼろ気なものではなく、酒に酔っ払ったような一時的で覚めてしまえば何もなくなるというものでもない。


「越えなばと 思いし 峰に来てみれば なお行く先は 山路なりけり」とうたわれるようにも、越えても越えてもキリのない有為(苦しみ)の奥山のような人生を、今越えて、「人間に生まれてよかった」と生命の大歓喜をうることができた。

これの世界を昔の人は、
「広大難思の慶心」
「うれしさを昔は袖に包みけり今宵は身にもあまりぬるかな」
と言っている。

そういった人生の目的を、昔の人がすでに答えを見つけ、教えられているのだ。ここで話されることは、根拠のある話、一つ一つ根拠を挙げて話をしていくので、それを学んでみないか?



◎「生死一如」と「生死の一大事」

人生の目的を知るには、死について考えることが大事である。
「生きる目的にどうして死が?」と思うだろう。

昔から、「生死一如」といわれている。
生と死は紙の裏表のように、切っても切れない関係があるということ。死を抜きにして、生きる目的を論ずるのは片手落ちである。

生と死は、ちょうど台所と便所に例えられる。

台所は明るい、好きな場所。
便所は最近はきれいだが、昔は暗く、臭く、嫌な場所だった。
だからといって、便所がない家があるかといったら普通はない。

台所で食べたら、必ず出さねばならない。
便所の問題が解決していなければ、たとえ一時楽しく食事ができても後で必ず困ったことになる。
便所の問題が解決していて初めて台所で明るく楽しく食事ができる。


同じように、生は明るい、好きなもの。
死は暗い、嫌なもの。苦しいもの。考えたくないもの。

しかし、人間は生まれたからには必ず死ぬ。
死の問題が解決していなければ、たとえ一時明るく楽しい人生を送れたとしても、後で必ず困ったことになる。
死の問題を解決をしていて、初めて心から明るく楽しい人生を送ることができるのだ。


生きるとは、飛行機でいえば飛んでいることに例えられる。
生まれた時が飛び立った時。
人生も飛行機のように猛スピードで過ぎているのかも知れない。光陰矢の如しと言われ、過ぎ去った人生はあっという間に感じる。

飛行機には色々な飛び方があるように、人生には色々な生き方がある。
また機内では快適に過ごすための設備が用意されている。
時には乱気流やエンジントラブル、敵機との交戦など、危険な場面もある。
そうやって私達は日々生きているのだが、実際の飛行機とは決定的に違う点がある。

実際の飛行機には必ず行き先がある。
しかし、私たちは、どこへ向かって飛んだらいいか、飛ぶ方角を知らない、降りる飛行場が分からない飛行機に乗っているようなものである。そして、燃料には限りがあるから、飛び立った飛行機はやがて降りなければならない。

人は生まれたからには、やがて必ず死なねばならない。
100%ぶち当たる行き先を知らずに生きているのは、飛ぶ方角を知らず、降りるべき飛行場も分からずに飛んでいる飛行機と同じ。
最後は山腹に激突するか、海に突っ込んでいくか。
行く先知らずに飛んでいる飛行機は、墜落の悲劇あるのみである。

しかも墜落だけが悲劇なのではない。悲劇に近づくフライトそのものが地獄なのである。
行き先が分からない飛行機に安心して乗っていられますか?どんな機内食もおいしくないし、機内で何をしても心の底から楽しめない。

未来が暗いと現在が暗くなるのだ。

未来に人生最大の問題である「死という問題」を抱えていて、明るく楽しく人生を送れると思えるだろうか?

しかも、死の問題は100%やってくるし、いつくるかも分からない。
この死の大問題のことを、「生死の一大事」といわれる。
この生死の一大事の解決こそが人生の最優先課題である。

生死の一大事を解決するとは、先ほどの飛行機のたとえでいえば、いつでも安心して着陸できる飛行場を確保ようなもの。そのとき、悲劇のフライトは、明るく楽しいフライトへとガラッと変わる。

生死の一大事を解決してこそ、人生を大安心、大満足で生き抜くことができる。『歎異抄』という古典には、生死の一大事を解決した世界を「無碍の一道」と教えられている。一切のさわりがさわりのままでさわりにならない世界に出られるのだ。

死について考えることはいたずらに暗く沈むことではなく、生の瞬間を太陽よりも明るくする第一歩なのである。

では、生死の一大事を解決した「無碍の一道」とはどんな世界か、どうすれば解決できるのか、続けて話を聞いてもらいたい。

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(つづく)
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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