電子ピアノにおまかせ

数年前から娘がピアノを習っています。家で購入したのは電子ピアノなのですが、時々機能としてついている

自動演奏モード

にして曲だけ聞いている時があります。この前も自動演奏モードにして

「おまかせ~」

と笑っていました。ピアノを習わせる親からすれば「ちゃんと自分で弾きなさい」と言うでしょうが、ピアノがド素人の私としては思わず「いいこと言うなぁ。それいただき!」と感心しました。

阿弥陀さまの救いに対し、私は逆らわず計らわず「おまかせ~」して「浄土に連れて行くぞ」の仰せをお聞きし念仏するのみです。その他に私の側で何かしたり、用意しなければならないものはありません。

ピアノの自動演奏モードに上乗せして手で弾くこともできるのですが、腕に覚えのある人ならともかくド素人の私が弾いたらせっかくの流れるような演奏が台無しになります。念仏や聴聞といった行為を自分の善根として捉え、真剣に聞いて助かろう、念仏を称えて助かろうとするのは勿論、それらを重ねて救いに近づこうとか、念仏以外の諸善に手出しして横の道を進もうなどというのは、既に成就されている名号の救いに自力を上乗せし、不純なものを混ぜ込んで台無しにしている、言語道断の浅ましい考えです。

我々が浄土往生する因も果も、全て阿弥陀仏が回向して下さいます。私達の側で何か加える必要はありませんし、逆に何も加えてはならないのです。一切の自力を廃し、100%他力による救いだからこそ、一味平等の真実報土に往生させて頂けます。私としては何の計らいも無く本願力回向の救いを聞き受けるのみです。何とた易いことでしょうか。

もしこれが難しいとしか思えないならば、それは本願力回向の救いを計らって自力で捉えよう、掴もうとしているからです。絶対不可能なことをやろうとしているのですから、難中之難無過斯となるのは当然です。

他力の救いを自力で掴もうとするのを止めて、「助けるぞ」の仰せに素直におまかせすれば、もはや難中之難無過斯ではなくなります。過去に増井悟朗師は「南無阿弥陀仏に飛び込め!」と仰いましたが、今私は、助かろうと力み方法論を模索するのを止めて南無阿弥陀仏におまかせしなさいということだと味わっています。後生の一大事はこれ一つにて助かります。自分の小賢しい詮索や先入観を入れずに、南無阿弥陀仏、「助けるぞ」の仰せをそのまま聞き受け念仏して頂きたいと思います。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
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お早うございます。

「お任せ〜」。
娘さん、うまいこと言いますねw
仰る通りです。
俺もお子さん時代にピアノやってたんですが、サッカーのが面白くてやめちゃいました。
ネコ踏んじゃったくらいしか今は弾けないので、よく分かりますw

自力でなんとかしようとしても、絶対に不可能なんですよね。
ただ、南無阿弥陀仏にお任せでした。

今日も、違う先生ですがこれから築地本願寺でお聴聞です。
自力でなんとかしようと聴聞してる間は苦しかったですが、今はお聴聞が有難く、語弊があるかもですが楽しいです。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

Re: R1000様

> 娘さん、うまいこと言いますねw

でしょう?(笑)

> 俺もお子さん時代にピアノやってたんですが、サッカーのが面白くてやめちゃいました。
> ネコ踏んじゃったくらいしか今は弾けないので、よく分かりますw

そうでしたか!? でも男子は大概そうなりますよね。何年も続けてものすごくうまくなる子もいますが、稀ですね。この前毎年恒例の演奏会があって、去年も巧かった男の子は今年も超絶技巧でした。


> 自力でなんとかしようとしても、絶対に不可能なんですよね。
> ただ、南無阿弥陀仏にお任せでした。

うんうん、その通り。なんまんだぶつ、なんまんだぶつです。

> 今日も、違う先生ですがこれから築地本願寺でお聴聞です。
> 自力でなんとかしようと聴聞してる間は苦しかったですが、今はお聴聞が有難く、語弊があるかもですが楽しいです。

うらやましいですなぁ。私は今日も仕事でしたよ~(*´Д`)
ですです。真宗の聴聞は有難いんです。御親の尊さを私もよく聞かなければと思います。

ところで、先日の阿部先生のお話でも、本日のお話でもいいので、もしお時間あって覚えていたら、覚えている範囲でどのようなお話があったか教えて頂けますか? 最近の高森会長の話の劣化が禿しいようで、比較してみたいと思っておるのです。

No title

まさに「おまかせ~」ですね。

おまかせということは、(私の力は一切役立たないので)おまかせした結果はそのまま受け入れるということで、思う通りの結果にならなかったらどうするんだという不安があったりすると、おまかせするのはなかなか難しいかも知れないなあと思いながら、
歎異抄の、「総じてもって存知せざるなり」のお言葉が味わわれました。

南無阿弥陀仏

>>淳心房さん

さっきも散歩しながら阿部先生のご法話録音聴いてて思ったんですが、俺には聞いた内容を記憶だけで正確に書けませんわ。
キリスト教や他国の神の事、海外仏教圏の現実、そして当然真宗学にもお詳しいので、俺が書くと間違うと思います。
阿部先生から聞かせて頂いた感動、味わいなら自分の言葉でいくらでも書けますが、今回の主旨にはそぐわないかなと。

それで、よかったらなんですが住所メールして頂ければ、昨日のご法話やら俺が初めて阿部先生のご法話にご縁があった時に質問したキモい声入りのものやら他の先生のご法話などをUSBに入れてお送りしたいのですが。
淳心房さんにも阿部先生のご法話を一度聞いて頂きたいので。

ムリっぽかったら、あの1時間半の内容をどうやって限られた紙面にまとめようかと悩むところです。やりますけどw

コメント返信

あさ川進様

そんな不安もありますね。あと「どうまかせたら・・・」と悩む人も(´・ω・`)
元々地獄だから阿弥陀さまのお連れ下さる先が地獄でも受け入れるしかないですよね。
歎異抄の「総じてもって存知せざるなり」は言葉通り「本当に何も知らない」「法然聖人より承りしみ教えを我も信じ人にも教え聞かせているだけだ」ということですね。私も全くもって同じです。


R1000様

教義の正確な比較というわけじゃなく、味わいや感動でいいですよ。それに対して最近の親鸞会の話は・・・と短く書くだけですから。

マジすか!?
では、お手数ですが『送信』のすぐ上の「非公開コメント」の所に必ずレ点チェックを入れて、メアドを教えてもらえたら(#^^#)

>>淳心房さん

何気に、青いR1000をクリックして頂ければ投稿文で晒したメアドが出るっぽいです。
でも個人情報を扱うわけだしご本人確認の意味でも、非公開でスマホのメアド書きますねw

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まかせる

信という漢字は「まかせる」とも読むのでしたね。
その意味で信心という漢字を、「まかせる心」と読むと別の味わいがありそうです。

白居易の琵琶行から

低眉信手續續彈  眉を低れ手に信(まか)せて 續續として彈じ
説盡心中無限事  説き盡す 心中無限の事


なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
http://chinese.hix05.com/Baijuyi/bai2/bai204.biwa2.html

お仕事、お疲れ様ですw

了解です。
では、自分の味わいをぽつぽつ書かせて頂きますね。

まず、昨日のご法話から。
布教使は関西弁を話す70代の女性の先生で、とにかく喜ばれているのが伝わってきました。法話中も度々お念仏され、俺もつられて、ではないですが過去のご法話中で一番お念仏させて頂きました。
ご法話が始まる前に参詣者ひとりひとりを周り歩かれ「ようこそようこそ、有難う。なまんだぶなまんだぶ」と声をかけられ、初参加の俺にまで丁寧にご挨拶下さいました。

ご法話前は「今日はとても嬉しい。皆さんと一緒にお育てにあずかります」と話を始められ、最後に「今日は皆さんのお陰でお育てにあずかりました。有難うございます」と締めくくられました。

実は一昨日、この先生も阿部先生のご縁で聴聞されていたのですが、幼少の頃の病気が原因で片耳は全く聞こえず、片耳は補聴器をつけてようやく少し聞こえるようです。
なので阿部先生のご法話の大半はよく聞こえなかったそうですが、「それが有り難い。聞こえた僅かな言葉が、私の宝になる」と言われていました。
一昨日の、その宝の一つに「阿弥陀さまは功徳を積んで、まとめて与えるのではない。ひとりひとりを背負って、親が背負った子供にみかんをひとつ剝いてはホイ、ひとつ剝いてはホイ、と少しずつ与えるように功徳を我々ひとりひとりの上に積み上げてゆかれた」というお話がありました。
このお話の元は深川倫雄和上のようで、経典の根拠も話されましたが、済みません、失念しました。。。

この布教使の先生はこの話をうけて、「阿弥陀さまは、阿弥陀仏ではないですよ。法蔵菩薩です。少しずつ私たちの上に功徳を積み上げられて、私を仏にしたいという願いを成就された。私がどうこうすることは全くない。三角なら三角のまま、丸なら丸のまま、四角なら四角のまま、ただ『ハイ』と受け取るだけ。その時に、法蔵菩薩さまは私と一緒に阿弥陀仏となる」と話されました。

ここからは俺の味わいなのですが、このお話は本当に有り難かったです。
自分の事で恐縮ですが、今年の正月休みに計らいをとって頂くまで、阿弥陀さまは俺ひとりの為に気の遠くなるような昔からずっと『ハイ』と聞いてくれるのを、常に寄り添って待ち続けて下さっていました。
俺の為に願って誓って下さった法蔵という菩薩さまは、あの時同時に阿弥陀仏と仏の悟りをとって下さいました。
それなのに、疑い続け、背中を向けて逃げ続けた俺なんかよりも一番喜んで下さって、本当に申し訳なく有り難く、涙が出そうになりました(それでも出ないのが俺なのですが)。
目に見える世界の事だけでも、阿弥陀さまのお力は想像も出来ないくらいすごいので、ただ南無阿弥陀仏です。
なぜかというと、うちの愛猫のにゃんた君も、地面を這うアリンコも、木の間に巣を張る蜘蛛も、全ての有情を仏にしたいと願われ、誓われ、その通りに成就されたから、今私たちは「阿弥陀」というお名前を聞いているんです。
木に刻めばお木像。絵にあらわせばご絵像。文字にすれば南無阿弥陀仏。声となってはお念仏。既にこの世界に南無阿弥陀仏となって届いているのが、我々の往生の証拠です。


とりあえず、以上です。
なんか色々済みません。先生の話された内容を正確に書いてないでしょうし、自分でもまとまってないと思います。
でも、NGを出されなければ明日以降は阿部先生のご法話の味わいを書かせて頂こうと思います。
病み上がりにも容赦なく仕事ぶん投げてくるブラックな職場なので間あくかもしれませんし、USBももうちょいお待ち頂ければ。
無駄に細かい性格してるので、USB内容に大雑把でも説明メモなど入れたいのですよw

長文失礼しました。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏









コメント返信

林遊@なんまんだぶ様

ありがとうございます。信心という二字を「まことのここと」と読むと蓮師は仰いましたが、阿弥陀さまに「まかせる心」とも読めますね。有難い仰せです。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。



R1000様

こちらこそお忙しいところこのように綴って下さいましてありがとうございます。決して無理のない範囲で構いませんので、阿部先生のお話の方もよろしくお願いします。
やはりこのように真宗の話は有難いと思える、思わずお慈悲に触れて泣きそうになる、そういうお話なのだと思いました。今はこれにて失礼。。。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

今晩は。

今日は定時で上がれたので、この前に阿部先生から聞かせて頂いたご法話の録音をもう一度聞いたのですが、困りました。
俺のボキャブラリーが貧困すぎて、すごいとしか書けないんです。
一時間半の内容の一部分だけを切り取りたくないし、聞かせて頂いた事を俺の言葉で書こうとすると、違うものになってしまうんです。
ここに書いた後、淳心房さんにUSB送ろうと思ってたんですが、今は早く淳心房さんにも聞いてもらいたいから出来れば明日にでも取り掛かりますw

と、書きながらも少しだけ味わいを。

「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。」

なんというか。
全て、阿弥陀さまが与えて下さるんですよね。
信心とは疑蓋無雑で、疑いの蓋が取られた状態。

「弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまえり
 法身の光輪きはもなく 世の盲冥をてらすなり」

もともとあるものが、そのまんま私の上に出てくる。
私の上に回向されている南無阿弥陀仏が、口からお念仏となって出て下さる。

法を説ける方って、心から尊敬します。
これからも、幸せなお聴聞の人生を送らせて頂きます。

なんかグダグダになってしまって済みませんが、今の俺の本心です(汗


南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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