新入生の皆さんはこんな話に注意!(6)

新入生の皆さんはこんな話に注意!(5)の続きです。

本日は、「宗教偏見カット」ということについて書きます。
親鸞会では新入生や初めて話を聞く人が怪しいと感じて辞めないように、「こんな質問を受けました」と不安要素を敢えて出して話をして、相手の警戒心を解く手法を用います。これを「カット」と言います。
代表的なものは、親御さんに反対されて辞めるのを防ぐ「親御さんカット」(最近は親御さんカットという言葉は使わなくなったようです。親に対する配慮といいます)、他の部活やサークルと兼部して辞めるのを防ぐ「兼部カット」などです。

気をつけたいのは、彼らの言葉遣いです。
(オ●ムとか統●協会など、皆さんが思い浮べるようなカルト的な)宗教のサークルではありません」という意味で、「宗教ですか?」と質問した人に「宗教のサークルではありません」と答えるので、嘘をついているようなものです。

お願いですから、現役学生会員の皆さん、大学新入生を勧誘しようとしている学顕クラブや支部会員の皆さん、ダミーサークルを作って相手の質問にきちんと答えないような勧誘は止めて下さいね。
それは明らかに嘘をついているということですよ。真実に導く方便や配慮なんかと思っていたらとんでもない間違いです。
嘘は善ですか? 悪ですか? そんなことをやっていて信仰が進むんですか?
自分の胸に手を当てて、真剣に考えて頂きたいと思います。


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◎宗教偏見カット

人生の目的とか、なぜ生きるというテーマでゼミをやっていると言うと、「それって何かの宗教ですか?」と聞いてくる人がありますが、私達はそういった、皆さんが思っているような宗教のサークルではございません。
全く、違いマンモス。マンモス級に違うということです。

宗教といわれるものと私たちのサークルとの違いが分からねば、人生の目的はもう分からないので、よく聞いてもらいたいと思います。

そもそも、宗教という言葉は、英語の「religion」を翻訳したものです。
「re」とは「recycle」の「re」と同じで「再び」、「ligion」のもとになる語はラテン語で「結び付ける」という意味でした。「religion」とは、再び結びつけるという意味になります。

では何と何を結び付けるのか?
私とアッキーナを結び付けて下さるのか? それとも私とヤマピーを結び付けて下さるのか? もちろんそうではありません。

神と私を再び結び付けるということです。キリスト教では、人間はエデンの園から追放されたアダムとイブの子孫であると教えられます。その原罪を背負った人間と神を再び結びつける教えがreligionであり、これはキリスト教のことを指すのです。

今から2000年ほど昔、ヨーロッパではローマ帝国が席巻して民衆を支配していました。
民衆は国の圧政と重税に苦しみ、自分はなぜこんなに苦しまねばならないのかと常々不満に思っていました。
その不満がローマ帝国、皇帝に向かえば反乱が起き、ひいては帝国が倒される可能性もあるわけです。
そこで皇帝は神の教えを説くキリスト教に目をつけ、当時のローマ教皇と組んで各地に宣教師を送り込みました。そして民衆の不満を沈めるためにこのような教えを説かせたのです。

「今、皆さんが苦しんでいるのは、神の試練です。あなたの運命は神が作ってお与えになったもの。神を信じて下さい。今は苦しいでしょうが、それに耐えれば神はあなたを天国に連れていって下さいます。逆に運命に背くようなことをすると、神はお怒りになり、更にあなたに苦しい運命を課すことになるでしょう。だから、反乱を起こそうなんてバカな考えは捨てて、神から与えられた運命を受けとめて怒りを治め、仕事に励んで税金を納めて下さい。」

自分の運命は何によって決まるのか、さっぱり分からなかった民衆達は、如何にも立派な服装をして神の教えをもっともらしく説く宣教師の話を聞いて「あーそうだったのか」と考えを改め、再び仕事に励むようになりました。
国側にとったらこれで反乱も治まる、税金も納まる、これはたまりませんと、一石二鳥だったわけです。

このようにして、民衆を圧政から解放しようと説かれたキリスト教は完全に国政と癒着し、上層部は甘い汁を吸い続けたのでありました。

「自分の運命は神が作って与えられたもの」とは、科学が発達していなく、自然の脅威や流行病、また説明のつかない現象が多々あった当時としては、民衆がこのように考えるのも当たり前のことだったのです。
社会主義思想家のマルクスが「宗教は阿片だ、毒酒だ」と言ったのは、主に自分の運命を考えることを放棄して、神から与えられた運命に逆らわずに生きよと説く宗教を批判したのです。


それに対して仏教では、「自業自得」といって、自分に与えられた運命は、全て自分の行為の結果だと教えています。
「まけばはえ まかねばはえぬ 善し悪しの 人は知らねど たねは正直」
よい行いをしたらよい報いが来るし、悪い行いをしたら悪い報いが来る。よい運命も悪い運命も、自分にやってくる運命の全ては、過去に自分がやってきた行為の結果であり、万に一つも例外はないということが説かれています。

自分が今苦しんでいるとしたら、それは自分がやってきた行いに原因がある。
今の行いを変えれば、未来の運命は変わっていく。
そういう教えが仏教ですから、実に積極的、努力向上主義の教えであることがわかりますし、非常に論理的です。

マルクスはヨーロッパの人ですから、仏教という教えを知らなかったと思います。
だから、「宗教は阿片だ、毒酒だ」と言った彼の言葉は、仏教には当てはまりません。

なお江戸時代までは、宗教イコール仏教だったのです。それが今から150年ほど前に日本が開国して、ヨーロッパの文化が様々に入ってくる中で、外国の言葉を翻訳しなければならなくなりました。
そこで、キリスト教やイスラム教、その他色々な教えが日本に入ってきた時、翻訳者がそれらを「宗教」と訳したのです。

このサークルでは、「自業自得」の因果論に基づき、論理的に話をして、一つ一つ納得したもらった上で話を進めています。自分の頭で考えてもらって判断して頂いていますから、疑問や質問は大歓迎。

ですからこのサークルは、皆さんが心配しているような宗教のサークルではございません。
分からない所、違うんじゃないかと思う所は質問して、皆さんが理解し納得した上で話をしていきますから、続けて話を聞いてもらいたいと思います。


◎騙されていないと思って騙される

皆さんの中には、自分は騙されているんじゃないかと心配されている人、自分は心配していないが周りの人から「お前騙されているんじゃないか」と言われると動揺してしまう人があると思います。
何かアブナいものにはまってしまったのではないかと思う人、お前アブナいぞと言われると実は内心ではそう思っているけど外相にはその色を見せずという人もあるかもしれません。
○○君は、大丈夫ですか?

実は、あなた騙されていますよと言っている人も、言われている人も、お釈迦様の目からご覧になれば、どちらも騙されているのです。
アブナいぞと言っている人も言われている人も、お釈迦様からご覧になればアブナいのです。

例えば、みなさんは、明日死ぬと思いますか?思っていないでしょう。
そして、明日になれば、また明日も生きておれる。
そうやっていつまでも生きておれる、永遠に生きておれると思っているのが私たちです。

人間一度は死なねばならないと頭で考えていても、死ぬだなんてちっとも思っていない。

しかし、事実は、「生あるものは必ず死に帰す」です。
お釈迦様は、この事実を教えられたのです。それが仏教です。

私たちの命は無常なのに、常だと思っている。それを迷っているというのです。

仏教の言葉に、顛倒の妄念という言葉があります。顛倒とは、ひっくり返っている、逆さまだということです。妄念とは迷った思い。無常が事実なのに、常だと思っているのは、まさに逆さまな迷った思いでしょう。

そんな逆さまな心に騙されて、いつまでも生きておれると思って、あれもやってこれもやってと、そうしているうちに突然何の前触れもなく死んでいく。
そのとき、しまった~、こんなはずではなかった~、求めるものが間違っていた~と思っても、手遅れです。

そんな私たちをご覧になってお釈迦様は、騙されるなよ、アブナいぞと教えられているのです。

「世人薄俗にして共に不急の事を争う」と、お釈迦様は警鐘乱打されています。
世の中の人は、目先の事に心を奪われて、自分が死ぬなんてこれぽっちも思ってない。そして、急がなくてもよいことばかりを争い、死んでいく。

不急の事と言われているのは、人生急の事があるからであります。
人生急の事とは何か?
最も急がなければならない事とは何か?

それこそ、人生の目的であり、全ての人が待った無しで必ずぶち当たらねばならない死の問題の解決であります。この死の大問題を生死の一大事と申します。

自分のいつまでも生きているという心に騙されないで、生死の一大事を解決せよと教えられたのが仏教であります。

では、この生死の一大事とは何なのか?その解決はどうしたらできるのか?解決したらどうなるのか?これについても詳しく教えられているので、続けて聞いて頂きたいと思います。

**********************

(つづく)
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No title

こうして読ませていただくと、話の進め方は10年以上前から変わってませんね。巧妙だと思います。
文章では冷静に読めますが、百戦錬磨の講師から誠意と自信に満ちた話し方で説得されると、世間知らずの学生ならずとも心動かされてしまいそうです。
私たちの世代と違いインターネットが空気のように身近な現在の学生たちなのですから、ぜひとも多くの客観的な情報に積極的に触れ、自分の頭で考える力を身につけていただきたいと思います。

>名無し様

特に人生に疑問を持っていて、真面目な性格の学生ほど教義を受け入れてしまいます。それには講師や先輩の自信たっぷりの話など、様々な要因がありますが、後々言及したいと思います。

人生の裸形はほぼ言われる通りなので、この辺は納得せざるを得ない話が多いです。
なので親鸞会教義まで正しいように思うのです。
しかし、いくら「機」が正しくても「法」がドグマばかりですからもうだめぽ…いつまでも19願に押し留められ、それに気づいて脱出しない限り救われるのは難しいでしょう。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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