一万去って また一万(´;ω;`)

以前、「NACK5」FUNKY FRIDAYでの交通川柳の中に、

青切符 一万去って また一万

というのがありました。淳心房も忘れもしません、去年の夏に仕事中、駐車監視員によって駐禁シールを貼られてしまい、仕方なく15000円をボッシュートされてきましたよ(´;ω;`) あ~、今思い出してもムカつく(一一")

歌人は何の違反なのか知りませんが、恐らくスピード違反か一時不停止か、携帯保持か、私と同じ駐禁か、あるいは他の違反で二回はやられたんでしょう。笑うと同時に同情し、自分も気を付けようと思いました。


ときに今年私は、携帯電話がふとしたことで電源が入らなくなり、仕方なく買い替えました。すると間もなく、眼鏡が壊れてこれも仕方なく買い替えしました。もう、ホントに

買い替えし 一万去って また一万

です(´;ω;`) 一万どころか計五万は軽くふっ飛びましたが、歌人の元ネタを尊重し、そのままにしています。


これが、親鸞会を退会していなければそれでは済みませんでした。私が退会する以前から建設ラッシュで次々と募財が打ち出されてうんざりでしたが、現在はそれに輪をかけて多くの募財があるのだと思います。全国各地に会館を建て、アニメバスを何十台と購入し、名前だけ会員の獲得・維持、アニメ映画「なぜ生きる」関連の募財・・・。毎月の会費、法話でのお布施、交通費、会場費など、これだけでも大変なのに、どんだけ~

またお布施? 一万去って また一万

といったところでしょう。これでは、善ができる人、お布施のできるお金もちの人しか救われず、善のできない悪人やお布施のできない貧乏人は救いから漏れてしまうんじゃないでしょうか? いくら心がけが大事だと言っても、ある一定以上納めた人を表彰する制度があることからして結局大事なのは布施した金額でしょ?

いくら親鸞会に布施をしたところで、それと本願の救いとは無関係です。それに、いくら布施をしたところで、「○○円布施することはできた」ということは知らされても「善のできない自分だった」と知らされることはありません。全財産を布施したところで同じことです。「全財産布施することはできた」ということは知らされても「善のできない自分だった」と知らされることはありません。何十年と求めている会員が未だに晴れたも曇ったも分かっていない現状がそれを物語っています。

今年も一年終わりそうです。このような感じで、人生も瞬く間に過ぎ去ってしまうのでしょう。会員の皆さんは、このまま一生親鸞会の邪義に毒されたまま終わるつもりですか? 皆さんが本願の救いに遇えないのは、一概に皆さんのせいだけではなく、邪義を正義と勘違いしている所が大きいです。調べるだけならタダなんですから、疑問に思う点があれば追及した方がいいですよ。ブログであれば、書かれている内容や、理論は正しいかなど、ちゃんと自分で読んで調べて考えて、自分で答えを出さないとダメです。活動が忙しいなど、死の前に理由になりますか?
阿弥陀仏の救いは現在只今ですから、今聞けば十分年内間に合います。「助けるぞ」の仰せを、自分の計らいや先入観を入れずにそのままお受けするだけだから、今日聞いて今日救われます。親鸞会でだって、一念の救いとか言うでしょ? その救いに何十年とかかっても遇えないのは何かおかしいと疑問を持たねばなりません。どうか会員の皆さんが邪義に気づき、邪義を捨てて真宗に帰されることを願っています。
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本当に・・・。

ブログの記事を読ませて頂いて、思わず 頷いていました。
親鸞会会員だった頃は、宿善欲しさに、湯水の如く (私にしてみたらですけど)、お金を親鸞会に注ぎ込んでいました。
「 聴聞もして、活動もして、こんなにお金も出しているのに、なぜ私は 救われないのだろう? それたけ私の罪が重いのだろうか?でも、一切衆生を救う本願なのに、こんなに一生 懸命 頑張っている私を救うのに、こんなに手間取っていたら、一切衆生が救われることなんて、あるのかなー?」
などと 見当違いのことを考えていたことを、思い出しました。
そんな私が、ふとしたことから親鸞会批判サイトを見るようになり、親鸞会に 疑問を持つようになりましたが。
親鸞会の教えについての疑問が、確信に変わったのは、「ご文章」を 自分で 読ませて頂いたからです、
いつも 会長の説法の中で、会長の指示に従って 「ご文章」を開くだけでしたが、ある親鸞会批判サイトで、自分で「ご文章」を読むことを勧めてあったので、改めて ひとりで、自分の心で ご文章を 読ませて頂きました。
そこには、「三願転入」など一言もありませんでした。「教えを広めるために、活動せよ。財施せよ。」とも ありませんでした。「弥陀をたのめ」だけが、蓮如上人の教えだと わかりました。
「ご文章」のお言葉は親鸞会で聞いていることと違うと思いました。

親鸞会 退会後、
南無阿弥陀仏のおいわれ、
「救われたい私よりも、ずっとずっと前から 阿弥陀さまが、私を救いたかったこと、そして救いのご修行が完成して 南無阿弥陀仏になってくださったこと」を教えて頂きました。
私の頑張りなど ひとつも要らない南無阿弥陀仏 だったのです。

親鸞会時代は、年末になると 「顕正新聞」の新年号を 1月1日に 会員さんの手元に 届くように 段取りをして、「会員さんに必ず 元旦に 読んでもらうように」 と、今思うと、全く どうでもいいことに 苦労したことを思い出します。
そんなことから解放されて、お念仏が「無上宝珠」と、喜べること 、本当に有難く思います。
親鸞会会員さんで、もし このコメントを読んでおられる方がおられたら、ぜひ 自分の心で、「ご文章」を読んでみてください。
「自力が廃るまで、善に励め」という教えでは ないと 気づくと 思います。

南無阿弥陀仏

Re: RC様

お聖教を基に教義を重視する人、今の救いに遇えないと疑問を持つ人は、やはり気づくものです。お互い、決して幸せにならない教えに彷徨ってきましたが、南無阿弥陀仏に遇うことができて本当に良かったですね。

宿善の有無を沙汰せよとは書いてあるが宿善として善を修せよとは書いてない。三願転入なんて一言も書いてない。法を弘めることや財施することが獲信・往生の方法論として書かれていない。オレの指示に無条件服従せよなんてどこにもない。全ては教えを私利私欲を満たすために高森顕徹会長が利用しているだけでした。まだ邪義の渦中にある方は、「自分には分からない」なんて思わずにお聖教に直に向き合って頂きたいです。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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