「一心一向に弥陀をたのむ」=「一向専念無量寿仏」=「諸行を廃してただ念仏を用ゐる」

「雑行を捨てて、一心一向に弥陀をたのめ」

蓮如上人は常にこのように教えられました。この内、一心一向の意味を会員の皆さんは正確に知らないため、

19願の実践が他力への不可欠なプロセス

だとかいう珍説を受け入れてしまうのだと思い、再度御文を挙げて説明します。

一に、諸行を廃して念仏に帰せしめんがためにしかも諸行を説くといふは、善導の『観経疏』(散善義)のなかに、「上よりこのかた定散両門の益を説くといへども、仏の本願に望むるに、意、衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり」といふ釈の意に准じて、しばらくこれを解せば、上輩のなかに菩提心等の余行を説くといへども、上の本願(第十八願)に望むるに、意ただ衆生をしてもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり。

しかるに本願のなかにさらに余行なし。三輩ともに上の本願によるがゆゑに、「一向専念無量寿仏」(大経・下)といふ。「一向」は二向・三向等に対する言なり。例するにかの五竺(印度)に三寺あるがごとし。一は一向大乗寺、この寺のなかには小乗を学することなし。二は一向小乗寺、この寺のなかには大乗を学することなし。三は大小兼行寺、この寺のなかには大小兼ね学す。ゆゑに兼行寺といふ。まさに知るべし、大小の両寺には一向の言あり。兼行の寺には一向の言なし。いまこの『経』(同・下)のなかの一向もまたしかなり。もし念仏のほかにまた余行を加へば、すなはち一向にあらず。もし寺に准ぜば兼行といふべし。

すでに一向といふ、余を兼ねざること明らけし。すでに先に余行を説くといへども、後に「一向専念」といふ。あきらかに知りぬ、諸行を廃してただ念仏を用ゐるがゆゑに一向といふ。もししからずは一向の言もつとももつて消しがたきか。
(選択本願念仏集)

「一心一向に弥陀をたのむ」と「一向専念無量寿仏」とは同じ意味ですが、

阿弥陀仏以外の諸仏・菩薩・諸神を捨てることだけ

だと思っていたら、その誤りも甚だしいです。「諸行を廃してただ念仏を用ゐるがゆゑに一向」ですから、

阿弥陀仏以外の諸仏・菩薩・諸神に加えて、諸行諸善を捨てる

ことを「一向専念無量寿仏」というのです。

「一心一向に弥陀をたのむ」=「一向専念無量寿仏」=「諸行を廃してただ念仏を用ゐる」

ということです。ちなみに、「一心一向」と言っても「一向一心」と言っても、あるいは「一心」だけ、「一向」だけでも意味は同じく、阿弥陀仏のみをたのむ、諸行諸善を廃してただ念仏一行を専修するということです。また、「専修」、「専念」、「専ら(もっぱら)」とあっても同じ事です。

『御文章』では、「一心一向」、「一向一心」、「一心」、「一向」、「専修」、「専念」、「専ら(もっぱら)」等と書かれてある箇所は「雑行を捨てて」等と書かれてある箇所よりもずっと多い気がします。ですから、一心一向の意味を正確に知れば、親鸞会教義の誤りなど赤子の手をひねるが如く分かるというものです。それが分からないということは、それほど深く高森会長・親鸞会をたのんでいることの証です。親鸞会も丸太、高森会長も板切れです。信じてあてにしていても、やがて必ず裏切られます。

14.「一向専念無量寿仏」について

親鸞聖人 諸善を廃して念仏1つになること
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高森会長 阿弥陀仏1仏に向かって諸善をすることも含む


とある通りで、親鸞会教義は親鸞聖人の教えとは全く異なります。獲信・往生のために諸善(もどき)を勧める高森顕徹会長にいくら従っていても、一向専念無量寿仏することはできません。

ぜひ、上記のことを理解した上で、『御文章』を一読されることをお勧めします。
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No title

一向専念無量寿仏というワードで思い出した。
かなり昔だが高森親鸞会の人と話していて、一向専念無量寿仏、一向専念無量寿仏と煩く言うので、ひとむきに、なんまんだぶということですねと聞いた。
会員はキョトンとした顔で、何を言われたかわからず一向専念無量寿仏と繰り返していたことがあった。
高森顕徹氏は、信の一念に煩さいそうだが『教行証文類』を読んだことがないから「行の一念」については全く知らないのだろう。
だから会員も一向専念無量寿仏という言葉の意味を知らないのであった(笑
御開山の用例では、以下のように「専念」とは、なんまんだぶを称えることである。


一念を釈す

 釈(散善義)に「専心」といへるはすなはち一心なり、二心なきことを形すなり。「専念」といへるはすなはち一行なり、二行なきことを形すなり。いま弥勒付属の一念はすなはちこれ一声なり。一声すなはちこれ一念なり。一念すなはちこれ一行なり。
一行すなはちこれ正行なり。正行すなはちこれ正業なり。正業すなはちこれ正念なり。正念すなはちこれ念仏なり。すなはちこれ南無阿弥陀仏なり。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E9%A1%95%E6%B5%84%E5%9C%9F%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E6%96%87%E9%A1%9E#.E4.B8.80.E5.BF.B5.E3.82.92.E9.87.88.E3.81.99

ともあれ、一向専念無量寿仏について記したことがあったので下記にリンク。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E4%B8%80%E5%90%91%E5%B0%82%E5%BF%B5%E7%84%A1%E9%87%8F%E5%AF%BF%E4%BB%8F

Re: 林遊@なんまんだぶ様

それはキョトンとするでしょう(笑)
真宗教義と親鸞会教義はあまりに違い過ぎて、林遊様と会員の間には埋められない溝があると思います。元会員の私でも、現会員とは会話にならないのですから、まして林遊様なら推して知るべしです。

信の一念には煩いですが、行を軽視していますから結果的に信も軽視しています。自力念仏の者も必堕無間とか日○みたいなことを平気で言っているので何とかしてもらいたいです。

いつもながら、根拠もご提示頂きありがとうございます。読ませて頂きます。

なんまんだぶつ、なんまんだぶつ。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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