【検証】宗教偏見カットと親鸞会会員

今日は、宗教偏見カットを書いて思った事を綴っていきたいと思います。
昨日の記事新入生の皆さんはこんな話に注意!(6)を読んでいない人は、読んでから今日の記事を読んで頂いた方が、よくご理解頂けると思います。



親鸞会学友部では、昨日の記事のような話をしていながら、している当の本人達は、それがそのまま自分たちのことだとは気がつかないものだと思いました。

無計画なドメイン拡大、弁当屋やサンキューの経営、6階の会長御殿を会員に公表せずに5階建てと偽ってのF館の建設、そのたび募られる財施、仏法と関係ない壁画や絵画の財施・・・
時代とともにかわっていく教え、コロコロ変わる方針・・・


何でもかんでも「会長先生の深い御心」と片付け、思考停止して後生の一大事の解決のためだからと黙々と従っているのはどこのどなたでしょうか。


・会長一族は贅沢な暮らしをし、一部の上層部は家を新築したり新車を購入したりしているのに、末端の講師はバイト並みかそれ以下の薄給で食うか食わずの生活をしている。
・それらの講師は、他に原因を探そうともせず、先生の仰ることに間違いない、親鸞会の布教こそが最高の道だと信じ込んで、苦しいのも後生の一大事の解決のためだと自分に言い聞かせ、親鸞会の意のままに活動している。
・そして、後生の一大事の解決のためが知らないうちに、上司に叱られないことが目的にすり替わっている。

・会員も次々募られる財施に内心嫌だなと思いながらも、宿善になる、尊い善行だからということでなけなしのお金を出す。
・しかし目標財施額に届かなければ「高森先生の御恩」を聞かされ、お布施を募り直される。
・学生さんの中には、日々の生活を節約しても聴聞の移動費やお布施(御法礼、各種御報謝)にお金がかかり、弁当屋にお布施をしたのに昼食は持参のもので済ませ、あんしん弁当を食べられない方もいるとか。

・そして、
「苦しくなければ求道ではない」
「私は仏法のために苦しんでいる人をかわいそうだと思ったことはないと、会長先生は仰っている」

と会合で繰り返し話がなされる。


これでは、今の苦しみは神の与えられた試練ですと話をする宣教師とどこが変わりますか?
そしてそれに耐えている民衆とどこがどう違いますか?


結局、親鸞会の本音は、

「会長先生しか親鸞聖人の正しい教えは分からないのだから、会長先生の仰る通りに従いなさい」

ということでしょう。

「教えが違うんじゃないかと思ったらいけない」
「何か深い御心があるんだ、そう思うしかない」
「周りがやたら会長先生を賛辞するものだから同調するしかない」
「反発しようものなら辞めていったあの人みたく仲間外れにされ、悪口を言われ、孤立してしまう」
「求道の敗残者と呼ばれたくない」
「会を離れても教えを正しく説く人はいるか分からないし、何より縁に流されやすい私は教えを求めなくなってしまうのではないか?」
「他に正しく説かれる方が分からない以上、ここで求めていくしかない」

会員の皆さん、知らず知らず、こんな思考に陥ってはいませんか?
これでは、何かの宗教の教祖を盲信している信者と変わりません。変わりますか?

合点、納得しているつもりで肝心なところは合点も納得もしてはいません。
思い込んでいるだけです。信じているだけです。

それを聴聞が足らない、理解が足らない、行学が足らない、深い御心なんだなどの理由を自分でこしらえ上げて、自分で自分を無理に納得させていませんか?

「会長先生が正しい、親鸞会で教えられていることが正しい」が前提の元、自分で自分をMCしているのです。

じゃあ会長先生が正しい、会長先生の説く教えが正しいという根拠は何ですか?


様々なブログで教えの間違いが指摘され続けています。

阿弥陀仏の救いと諸善は関係ありません。
獲信の因縁としての諸善の勧めはありません。
親鸞聖人の教えに、19願の善の勧めはありません。
善のできない自分と知らされなければならないという教えもありません。
そのために善をせよとも教えられていません。

親鸞会の教えは、間違いだらけです。どこに正しいことがあるのか考えないと分かりません。それ位ひどい教義です。

「騙されていますよ、アブナいですよ、間違った教えですよ」と、親鸞会の外を見れば、会員に皆さんに向かって警報は鳴りつづいています。

・一生懸命求めていたあの人が辞めた。
・今まで毎回参詣していたあの人を突然見なくなった。
・あの人だけは絶対に辞めないと思っていたのに。

身近にこういう人がいたら「なぜだろう?」という疑問は起きませんか?
自分は大丈夫だ、騙されていないんだと思い込んでいませんか?
自分の信心が崩れる情報には触れたくないだけではありませんか?


会長や講師や会員の先輩など、内輪の話はすんなり聞くが、批判側の主張は最初から間違いと決め付けていませんか?
論理的で、納得した上で聞いていくものなら、親鸞会批判ブログを見て、お聖教と照合して自分の目で一つ一つ確かめたらいいんじゃないですか?

それをしないのであれば、昨日の記事にある宗教偏見カットは会が新入生に用いるものではなく、会員に対して用いるものになります。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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