謹賀新年(2017年) ― 知らないことは恥ではない

昨年も多くの方々に閲覧頂いたようで、コメントも多く頂きました。皆様ありがとうございました。本年もボチボチ書いていきたいと思います。よろしくお願いいたします(__ __)


私事ですが、世の中知らないことだらけです。様々なことを理解すればするほど、自分の知らない領域が沢山あることを知らされて、「自分はまだまだだ」という思いになります。

親鸞聖人の教えでもそうです。私はまだ七祖聖教はほとんど手つかず、『大無量寿経』の異訳も手つかず、親鸞聖人や蓮如上人方のお聖教全てにまだ目すら通せておりません。本願を信じ、念仏すれば、仏に成る。これさえ心得られたら後のことは石垣の組み方みたいなもんなんですが、教えを学ぶことは私のライフワークの一つにしていきたいですね。

私は古文漢文が滅法苦手で、センター試験では100点中30点前後しか取れませんでした(´;ω;`) 当然お聖教に向き合っていくと意味の分からない箇所に出くわしてストップなんてことはしょっちゅうです。会員の皆さんが抱いているであろう信後の妄想の一つに

・信心決定したらお聖教の御文がすらすら読めるようになる
・51段高とびして弥勒菩薩と等しい智慧を身に付ける


というものがあるかも知れませんが、んなわけあるか! 相変わらず難解な古文漢文ですよ。日本語しか読めなかった者が急に英字新聞をすらすら読めるようになるようなもので、あり得ません。また、高森会長はよく、「さとりの52位」の図を描いて「獲信すると同時に下からズボーッと51段高とびして弥勒と肩を並べる」なんてことを説いていましたが、残念ながら「便同弥勒」「次如弥勒」とは説かれていても「さとりの52位」で言うところの51段目に相当する智慧は身に付きません。これは、

金剛の信心をいただいた信心の行者は、次生において必ず仏になることに決定しているという意味で、一生補処の菩薩と同じ位にある。『WikiArc』補注6 正定聚参照)

という意味において言われている言葉であって、弥勒に等しい智慧を身に具えるのではないのです。

さて、しかしありがたいことにネットの世界でも教えに明るい方は多く活動しており、それらの方々のおかげでようやく「あぁ、こういうことか」と分からせて頂くことが沢山あります。試験で高得点を取らないといけないみたいなしがらみがありませんし、勉強して「後生助かろう」なんて力みもありませんから、教えを学ぶこと自体はマイペースで本当にちょっとずつですがやっています。

知らないことは知らないと言おう。そこで知らないことを知ろうと学ぼう

これが今の私の思いです。

知らないことは恥ではありません。そこで学ぶチャンスがあるのだから。本当に恥なのは、知らないことをさも知っていそうに振舞うことだと思います。


その点で、高森会長や親鸞会会員の皆さんはお気の毒です。親鸞会という狭い空間、狭い組織の中で、そこで教えられていることが絶対だと痛い勘違いをし、他から教義について学ぼうという気すらないのですから。
会員の皆さんは、高森会長の説かれることが仏教の全て位に思っているかもしれませんが、とんでもない誤りです。よく「教学の研鑽」なんかと言っていますが、お聖教の中のごくごく一部の言葉を、前後の意味も弁えずにぶった切って、意味を改変されたものを覚えていたってそんなの全然ダメです。今残っている会員の皆さんで、せめて浄土三部経や『選択本願念仏集』、『教行証文類』全巻を目だけでも通した方はありますか? 恐らくほとんどいないでしょう。「なぜ生きる」「なぜ生きる2」「歎異抄をひらく」「こんなことが知りたい」「本願寺なぜ答えぬ」などの高森本、また『教学聖典』などは何度も読んで、書いて覚えていても、『教行証文類』総序すら全て目を通していないという方が多いのではないかと推察します。

意味が難しければ、現代語訳もあります。

浄土三部経 原文・現代語訳・解説/浄土真宗本願寺派総合研究所教学伝道研究室〈聖典編纂担当〉
顕浄土真実教行証文類 (現代語版)

他にも、現代語訳されたものは数多く販売されていますので、買って読んでみたら如何でしょう? きっと親鸞会にお布施するお金の何分の一にも満たない金額で何冊も購入できますよ。

また、ネット上では私が普段からお世話になっている

WikiArc:浄土真宗聖典目次

からお聖教に触れることができます。安心論題も読むことができて大変重宝しています。


私としては、親鸞会で祖師や蓮師のお言葉を学んだこと自体は決して無駄ではありませんでしたが、親鸞会教義に毒されていたので染み抜きして正しい意味に覚え直す手間がありました。そして、御文を正確に覚えて書けても後生助かりませんので、まず本願を疑いなく聞いて念仏する身になって、それから勉強したい方はお聖教に直に向き合って学ばれていったらよいと思います。

私如きが仕事片手間に一生二生勉強しても尽きせぬ教えが仏教、浄土真宗であると痛感します。親鸞会で教えられていることが仏教の全てだなんて痛い勘違いをせずに、会員の皆さんもお聖教に接して頂きたいものです。そうすれば、篤い高森信者は無理かも知れませんが、教義の誤りに気づく方もあるでしょう。

今まで信じてきた教えが間違いだったと認めるのは大変辛い、今までの自分を全て否定されたかのような苦痛を伴うことは経験していますのでよく分かります。しかしいくら間違った教えを信じていても後生助からないのでは意味がないでしょう。過去は変えられません。変えられるのは今から先です。もし教義の誤りに気付いたなら、いつ無常の風に吹かれるか分からないのですから、早く決断し行動されるように願っています。
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S会時代から言えなかった事をやっと今年から、心から言えるぜ。

明けましておめでとうございます!

いや〜失礼。新年早々ウザいっすねw


俺も高校3年からは私立文系コースで3教科しか勉強してなかったにも関わらず、最後まで古文のテストはほぼフィーリングで解いてきたクチです(ー ー;)
正直、お聖教を原文で読もうとすると辛かったりもしますが、頭がいい上に日々精進されている方々からネット上で学ばせて頂いてます。
淳心房さんからも多くを教えて頂きました。
真宗学の事もそうですが、去年は阿弥陀さまのお育て、お同行の存在や生き方、言動に自分が少しずつ変わっていく実感のあった年でした。
元々がダークな自殺系人間なのが、ようやく生きる方に目が向き始めたってだけの話かもですが(汗
ですが、俺の中ではとっても大きな、本当に大きな変化のあった年でした。

今日死んでも俺の人生に後悔はないですが、命が延びるなら、今年もお同行と共にお念仏の道を生きたいです。

本年も、よろしくお願い致します。

南無阿弥陀仏


Re: R1000様

おめでとうございます(´・ω・`)

未だ会の教義に毒されていたら、相も変わらずめでたくない新年を迎えていたでしょうね。私としては12月31日と1月1日で別に変わった気持ちはないのですが、節目というか、旧年と新年に分けるのはある意味大切だと思います。

直接でもネットでも、同行の存在はデカいです。たった一人では退会も、その後の聴聞も、こうやってブログを書くこともなかったと思うと、歴代の善知識方は勿論ですが有名無名の同行の方々にももっともっと感謝しなければなりませんね。

俺は7年前が転機でしたが、R1000さんは去年でしたか。いやはや、あっという間です。俺も別段今死んでも後悔ないですが、生き延びた分だけ念仏して、聴聞していきたいです。今年は1回は埼玉恵日会行きたいです(笑)

こちらこそよろしくです(^ω^) 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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