教えが正しいかどうかを計るものさしの一つが「本願力回向」、また「只今の救い」

今回は名無し様より以下のコメントを頂いたので、それにお答えしたいと思います。

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テレビ、新聞を読まれて感じられるように偽りを述べても、そのまま通り過ぎてしまう今の世の中です。「浄土真宗の教えを正しく伝えてます。」と世間に述べてはいても、実は間違いだらけで、間違いに気がついたとしても平気な顔で反省のかけらもありません。浄土真宗では、正しい教えを聞かないと真実の信心を獲ることは難しいと思います。ようするに、今の世は、自分も含め嘘をついても、あまり罪とは思わない汚れた世界ということです。感情に流されず、みんなが有難がっているからといって、その教えが正しいと思ってはならないということです。とかく私たちは、みんなが正しいことだというと、そのことを信じてしまう癖があるように思います。それで、後で違うと知り驚くのです。また、今日、詐欺など人をだます技術が向上しています。うまく感情に入り、だまします。いったん騙されると、正しいことがわからなくなります。逆に正しいことが、間違いのように思ってしまいます。いくら正しいことを分別しようとしても手遅れです。ですから、感情で信じてしまう前に、私たちは、幸い、字も読めますし、インターネットの普及している時代なので、自分で確認する作業をすることもできます。例えば、「阿弥陀さまは功徳を積んで、まとめて与えるのではない。ひとりひとりを背負って、親が背負った子供にみかんをひとつ剝いてはホイ、ひとつ剝いてはホイ、と少しずつ与えるように功徳を我々ひとりひとりの上に積み上げてゆかれた」という内容も、「本当にそうですか。」と言いたいのです。偉い先生が根拠のような文をだされて、「ハイ」間違いないと簡単に思っていいのかということです。少しは、「短命の機の衆生を阿弥陀様はなぜ小出しに救おうとなさされるのか」と疑問を持ち、自分で御聖教で確認することが必要です。今、非難されている団体に入ってしまうようなことを二度と繰り返すことのないようにしていただきたいと思います。
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仰りたいことは伝わってきました。この世はつくづく嘘で塗り固められた世界です。騙し合い、化かし合いばかりで、真実は一つもありません。また、様々な人々の欲望がひしめき合い、それがぶつかって地獄の鬼も真っ青の惨劇が毎日のように報じられています。そのようなことを見聞きするにつけ、実に醜く穢れ切った世の中であると感じます。そして自分もその醜く穢れ切った一人だというのが悲しいです。もう本当に生きてゆくこと自体がイヤになることもあります。

そんな世の中を生きているのですから、疑心暗鬼に陥るのは当然です。親鸞聖人の教えについてもそうで、その人の説く教えが正しい浄土真宗の教えなのかどうか、それを自分でよく考えて見極めることは大切なことです。私もそれで痛い目を見ていますから、そのことについては同感です。

親鸞会や、親鸞会から派生した団体など、本物でない浄土真宗の団体が少なくない中、では何を基準として我々は教えが正しい浄土真宗なのかどうかを判断したらよいのでしょうか? 色々ものさしはあるでしょうが、私はその人が「本願力回向」、「只今の救い」を説いているかどうかをものさしとしたらよいと思います。

往生・獲信に関して善を勧める団体は、本願力回向を真っ向から否定していますから本当の親鸞聖人の教えではありません。また、話を聞き続けて「救いが遠い先のように感じる」「死ぬまでに何とか救われたらよい方だ」としか思えないならそれもまた即得往生住不退転の道理に反しますので、間違っている公算が大きいです。私達が往生成仏する因も果も全て阿弥陀仏が恵み与えて下さるものであり、仏願の生起・本末、南無阿弥陀仏のいわれを疑いなく聞き受けた只今往生定まる身となることを教えている方(本や音源などでも可)からお聞きするのがよいでしょう。


ところで、「阿弥陀さまは功徳を積んで、まとめて与えるのではない。ひとりひとりを背負って、親が背負った子供にみかんをひとつ剝いてはホイ、ひとつ剝いてはホイ、と少しずつ与えるように功徳を我々ひとりひとりの上に積み上げてゆかれた」というお話についてですが、これは恐らく法蔵菩薩の不可思議の兆載永劫における御修行の過程を譬えを用いて表現されているのだと思います。我々のような悪人が往生成仏するのにはこのような阿弥陀さまの、衆生かわいい、衆生を助けるためならどんな苦労も厭わぬという並々ならぬ御心労があってのことなんだということがよく伝わってくるではありませんか。

このお話を聞いて、名無し様は「短命の機の衆生を阿弥陀様はなぜ小出しに救おうとなされるのか」と疑問に思っておられるのかも知れませんが、そうではありません。一善積んでは私のため、一行励んでは私のためと、兆載永劫の長きに亘り積まれた功徳の総体、すなわち南無阿弥陀仏は既に成就していますから、そのいわれを疑いなく聞き受けたならばその時往生定まる身となります。

要はどこに重きを置くかによって話が異なるということです。阿弥陀さまの御修行の御苦労は先ほどのみかんの譬えで私は改めてよく分からせてもらいました。一方、「短命の機の衆生を救う」ということに重点を置くとなるとまた違ってきます。既に成就されているなんまんだぶに後生おまかせするだけだから、今日聞いて今日救われる、今聞いて今救われる、このなんまんだぶの謂れを只今聞いて只今救われて下さいというような話になるでしょう。

法は聞く者によって全く受け取り方が異なります。きっと私のような受け取り方をするような方もあれば、おとぎ話のようにしか思えないという方、疑いの目で見る方、デタラメだと謗る方、色々いらっしゃると思います。偉い先生が説くことだから本物だと頭から決めてかかるのは良くない、きちんと自分で正しいかどうか見極めなければという姿勢は、それはそれでいいです。ただ、話の中の一部を切り取って「ここが矛盾する」と細かくケチをつけるようなことをしないで頂きたいと思うのです。譬えなので合わない部分も当然出てきます。その譬えが何を表さんとしているのかを知るのが大事です。


最後に、阿弥陀仏の救いに関して私達の思慮分別は要らないというか邪魔ですから取っ払わねばなりません。この思慮分別、虚妄分別が邪魔をして本願力回向を撥ね付けておるのです。私達の分別智をもって如来の無分別智は到底理解できませんし受け容れることはできません。「本願力回向」、「只今の救い」を説いている知識から、また本や音源でも構いませんが、我々の小賢しい詮索や先入観を入れずに本願の仰せ、なんまんだぶを素直に聞いて念仏して頂きたいと思います。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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