因果の道理すらまともに理解する気のない親鸞会会員

親鸞会では「因果の道理は宇宙の真理」「因果の道理が分からなければ仏教は一切分かりません」と執拗に因果の道理を強調するものの、会員は報土の因果、化土の因果、18願・19願・20願の行信因果となるとさっぱり判らなくなってしまうようです。往生・獲信を目的としているはずなのに、こんな重要なことを理解する気がないのかとも思われます。ちなみに、各願の行信因果は以下の通りです。

◎18願の行信因果
 願:至心信楽の願
 行:選択本願の行(他力念仏一行)
 信:至心・信楽・欲生の心(本願力回向の信心)
 果:難思議往生(報土往生)


●19願の行信因果
 願:臨終現前の願
 行:修諸功徳の善(定散二善、六度万行)
 信:至心・発願・欲生の心(自力心)
 果:雙樹林下往生(化土往生) ※臨終来迎が条件

●20願の行信因果
 願:植諸徳本の願
 行:善本、徳本(自力念仏一行)
 信:至心・廻向・欲生の心(自力心)
 果:難思往生(化土往生)


この内、赤で示したのが報土の因果、黒で示したのが化土の因果です。このように因果という観点で見れば、報土往生という果を得るのはどのような因(行信)に依るのか、一方化土往生という果になってしまうのはどのような因(行信)に依ってなのかがこれでお分かりでしょう。一応、下に答えとして載せておきます。

では、19願を勧めていたら、勧められた人はどうなるでしょう?
答えは、平生はひたすら諸善を修めることになり、往生は命終わる時、すなわち臨終に定まります。そして臨終来迎があったら、という条件付きで化土往生します。もし臨終来迎がなければ、化土往生もできません。往生が定まるのは臨終ですから、臨終業成です。また、当然ながら死ぬまで求道です。死ぬまで安心できません。そういう人生を歩むことになります。

もしそのような「死ぬまで求道」の人生を求めていないのなら、どうしたらよいでしょうか?
答えは、19願から離れて18願一つ聞けばよいのです。18願による救いとは、南無阿弥陀仏のいわれを疑いなく信受したその時に往生が定まり、臨終を待つことなく、来迎をたのむことなく報土往生が決定するというものです。本願を信受した只今、平生に往生が定まりますから、平生業成です。現在から往生を阿弥陀さまにおまかせし、後生をくつろがせて頂けます。
なお、18願による救いは、往生の因も果も全て阿弥陀仏から一方的に回向されるというもので、救われる者の力を借りることなく、ただ如来の願力のみで救われます。私としては、この救いの法を疑いなく聞き受けて念仏申すのみです。

このように、報土の因果、化土の因果が分かったならば、19願の善は化土の因であるからやろうとも思いません。19願は捨てて、念仏一行になるのは当然です。後は、阿弥陀仏の回向を撥ね付けている、あるいは念仏称えることと引き換えに往生させてもらおうと取引きする、そういった自力の心が問題となります。

その自力の心も、自分で捨てられるものではなく、如来に取り上げて頂くのです。阿弥陀仏の「我にまかせよ、必ず助けるぞ」という本願招喚の勅命をお受けするところに自力の計らいは取り去られます。本願を聞くところに自力は廃るのです。信心を頂くと聞くと何かをもらう、何がもらえるのかなと貰うことばかり考えてしまいますが、自力の計らいを取り上げられるということです。

家から出るまでは天気がよく分からず、とりあえず傘を持って出かけようと玄関を開けると、外は雲一つない青空。その青空と太陽を見て、「こんな邪魔なものは要らないな」と傘を置いて出るように、阿弥陀仏が「そなたの後生は私が引き受けた」と仰るのを受けて、「こんな邪魔なもの(私の計らい)は要らないな」と自力の心が廃るのです。傘を置いたら晴れるのではなく、晴れているのを見て傘を置くのです。自力を捨てようとするのも自力であり、絶対に自分では捨てられません。他力を聞いて自力が廃る。他力を受けて自力が取り上げられる。こういうことです。

親鸞聖人は念仏を自分の善根として往生しようとする自力を厳しく誡められ、真実なる誓願を疑いなく信楽して念仏しなさいと18願一つお勧めになっています。自力念仏すら誡められてしかいません。まして、諸仏の勧めもなく、付属もされず、仏と疎遠であり、本願において選び捨てられた自力諸善にこだわっていてどうなりますか。会員の皆さんがいつまでも救われないのは、勧められている行為が間違いであるからです。

そして、「念仏一行になるのは信の一念で、そこまで進むには善をやらねばならない」などと邪義を植え付けられているからです。本願の救いはどこかまで進むも進まないもありません。現在只今、ここにいる、このままの私目がけて喚びかけられている仏の勅命を、小賢しい詮索や先入観を入れずにそのまま受け容れ念仏するのみです。救いを未来に見据えて「そこまで進め」などという邪義を真に受け、往生について間違った行を間違った心でやっていても、その結果が親鸞聖人のお勧めの通りにならないのは当たり前の当たり前の当たり前のことです。こんなのはまさに自力の象徴と言うべきでしょう。

因果の道理、因果の道理と、そんなに因果の道理を重要視するなら、報土の因果、化土の因果位きちんとわきまえましょうよ、親鸞会の皆さん。そして邪義を直ちに捨てて、本願を信じ念仏して報土往生を願って下さい。



答え
      因               果
(18願)
本願力回向の信心・念仏  ― 難思議往生(報土往生)

(19願)
自力心・自力諸善      ― 双樹林下往生(化土往生)

(20願)
自力心・自力念仏      ― 難思往生(化土往生)

(おまけ・親鸞会)
高森信・善もどきの善    ― 必堕無間
                    ∵自力念仏の者は必堕無間と念仏誹謗し、その邪義を信じているから


※傘の譬えは阿部信幾先生のご法話より拝借いたしました。ちなみに、

日時:12月4日(日)
14時10分~17時
場所:熊谷駅 直結 ティアラ21 4階
ハートピア 会議室2

熊谷市筑波3丁目202番地
(熊谷市男女共同参画推進センター:ハートピア)
電話番号:048-599-0011

にて今年最後の埼玉恵日会があるそうです。関心のある方はリンク先へ飛んで下さい。
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No title

休憩時間に書き込みw

まったく、仰る通りでした。
「傘を捨てたらお天気がくる」事は絶対に、永遠にないと思います。

昨日のお聴聞で南無阿弥陀仏の「南無」とは18願だとお聞きしました。
俺も淳心房さんと同じです。
阿弥陀さまに計らいをとって頂き、この救いの法を疑いなく聞き受けて念仏申すのみです。

会員時代、お勤めの後にご文章を一通づつ拝読していた事があるのですが、なんとなく有難いという気持ちは残るのですが、どこにも19願の勧めは書かれていないし、違和をずっと感じ続けていました。
あのまま親鸞会的19願を捨てずに持ち続けていたら、おそらく今も救われる事なく、苦しみ続けていたと思います。

淳心房さんはもちろん、退会者は私怨からブログを続けているのではなく、自分が過去に関わった団体の方々になんとか本当の浄土真宗を聞いて救われて頂きたいという思いからなのだと、俺は思っています。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏


Re: R1000様

乙です。ようやく阿部先生の法話を一日分聴聞させて頂きました。ありがとうございました。

他の退会者の方々は、それは最初は少しはあったかも知れないですが、もはや私怨というより同情、慈悲の心で書いておられると思います。まぁ淳心房は書きたいこと、思い付いたことを情熱の続く限り書いているだけですけどね(^-^;

私はR1000さんと違って圧倒的にお聴聞が足りません。少しずつ聴聞をして、如来のお育てにあずかっていきたいと思います。なんまんだぶつ、なんまんだぶつ。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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