人生の目的とやらを完成した時の喜びは、自分がこれまでに経験した最高の幸福感以上の幸福感が、永遠に続くのだろうと想像するしかない

12月4日の記事で、R1000さんからのコメントを読んで思い出したことがあります。

私が学生だった時、「釣りが人生の目的」と言っていいほど釣りに入れ込んでいる後輩がいました。そんな彼にK講師長(当時学友部長)は、人生の目的を完成すると、釣った瞬間の喜びが永遠に続くといったような話をしていました。今K講師長に「こんな話をしましたよね?」と聞けばどこかの政治家よろしく「そんなことは言っていない」といった返答があるでしょうが、とにかく欲望を満たす喜びしか知らない私達には、人生の目的とやらを完成した時の喜びは、自分がこれまでに経験した最高の幸福感以上の幸福感が、永遠に続くのだろうと想像するしかないでしょう。加えて喜忍とか、広大難思の慶心と聞くと、信後は想像を絶する大きな喜びの心が起きるのだろうと想像し、ともすると現生での喜び・幸福感を目的にしてしまいがちです。

この点は一応高森会長も釘を刺してはいますが、会員の皆さんの多くは、やはり現生で大きな喜び・幸福が得られるといった親鸞会の話を魅力に感じているのではないでしょうか。そして、苦しみがそのまま喜びとなる、そういう世界に出るのだということで次の和讃が思い浮かぶのではないかと思います。

罪障功徳の体となる
 こほりとみづのごとくにて
 こほりおほきにみづおほし
 さはりおほきに徳おほし
(高僧和讃)

高森会長は、救われたら煩悩はどうなるのかといった疑問に、よくこの和讃を出して話していたことを思い出します。ただ、その時の高森会長の説明が

「苦しみが、そのまま喜びとなる」
「苦悩が、そのまま歓喜となる」
「借金が、そのまま貯金となる」


といったもので、今思えば大変誤解を生む解説であったなと知らされます。上の和讃についてよく知るには、その前後の和讃と、『行文類』海釈について読む必要があるかと思います。

無碍光の利益より
 威徳広大の信をえて
 かならず煩悩のこほりとけ
 すなはち菩提のみづとなる

罪障功徳の体となる
 こほりとみづのごとくにて
 こほりおほきにみづおほし
 さはりおほきに徳おほし

名号不思議の海水は
 逆謗の屍骸もとどまらず
 衆悪の万川帰しぬれば
 功徳のうしほに一味なり



「海」といふは、久遠よりこのかた凡聖所修の雑修・雑善の川水を転じ、逆謗闡提・恒沙無明の海水を転じて、本願大悲智慧真実・恒沙万徳の大宝海水と成る。これを海のごときに喩ふるなり。まことに知んぬ、『経』に説きて「煩悩の氷解けて功徳の水と成る」とのたまへるがごとし。{以上}願海は二乗雑善の中・下の屍骸を宿さず。いかにいはんや人・天の虚仮・邪偽の善業、雑毒雑心の屍骸を宿さんや。

【現代語訳】
「海」というのは、久遠の昔から今まで、凡夫であれ聖者であれ、自力で修めてきた、さまざまな川の水に等しいような雑行、雑修の善根を転換し、悪人が積み重ねてきた、大海の水ほどもある五逆罪、謗法罪、一闡提など、数限りない無明煩悩の濁水を転換して、本願によって成就された大悲智慧の真実なる無量功徳の宝の海水に成らせることです。この転成のはたらきを海のようだと喩えたのです。これによって、経に「煩悩の氷がとけて功徳の水となる」と説かれている意味がよくわかります。本願の海には、下類の声聞や中類の縁覚の自力雑行の善の死骸を宿しません。まして人間や天人の偽善や、煩悩の毒のまじった自力心の死骸を宿すはずがありません。

我々の煩悩罪障をさとりの智慧と慈悲ならしめる、名号の転成のはたらきを讃えているのが「罪障功徳の体となる・・・」の和讃です。そして、凡夫も聖者も、五逆謗法の者も、闡提無戒の者も、どのような者であってもみな等しく救う南無阿弥陀仏の大功徳を解説するお言葉の一部でもあります。我々の上の、苦しみが喜びに変わるとか言った、ちんけな話ではないのです。苦しみが煩悩なら喜びも煩悩です。我々はどこまでいっても煩悩しかない身の上です。その煩悩一杯の私を、仏の功徳と一体にしてやろうという本願名号の不可思議なはたらきを讃えてこのように仰っているということです。


こうした本願の名号の他に何の不足があってか、少善根であり本願において選び捨てられた諸善など勧めているのか。雑行を勧める親鸞会は、決して親鸞聖人の教えでも浄土真宗でもありません。

「借金が多ければ多いほど貯金が多くなる」という話の本心

にも少し書いていますが、親鸞聖人の教えを低俗な話に貶め、現生での喜び・幸福で聞く者を釣る高森顕徹会長の本心としては、

「借金が多ければ多いほど貯金が多くなる。人生の目的を達成すれば、一切の苦労が報われ、流した涙の一滴一滴が、真珠の玉となって戻ってくる。信心決定したらそうなるんだから、借金してでも財施しなさい。苦労を求めて活動しなさい。ワシの指示に無条件で従いなさい」

といったものでしょう。このように見抜けた人は、マインドコントロールからの脱出が近いです。


我々はどうしても信後の喜びとか、幸福といったことに関心が行ってしまいがちですが、そんな事に心を奪われて南無阿弥陀仏の六字のこころを頂けないようでは大変申し訳ないことです。情けないことです。「後生助けるぞ」の仰せを仰せのままにお聞きし、仰せの通り後生おまかせして、後生をくつろがせて頂く。これが阿弥陀仏の本願のお心にかなっています。その上で喜ばれるとか、喜ばれぬとかの心配は要りません。我々の喜べるとか喜べないとかの感情で後生助かるか助からないかが決まるのではありませんもの。そんな事を一々心配したとてどうにかなる問題ではありませんし、後生の心配は阿弥陀さまが既に十分心配して、そして助ける手筈も整えて下されてあります。そのご用意に我々はただただ乗じさせて頂くだけです。ただ南無阿弥陀仏によって救われてゆくのです。何の造作も計らいも要らず、南無阿弥陀仏におまかせする。これ以外ありません。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
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Re: 秘密コメント様

私が退会してから制度が変わったのか、詳しいことは判りませんがどうもそのようです。

本音と建て前の使い分けが上手く、上司に巧く取り入り、成果を出した人が上に上っていくのでしょう。

不倫するとボンと車を与えられたり、急に裕福になるので分かりやすいですね。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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