「なにごともなにごとも」は口だけの高森顕徹会長

何とかクリスマスの修羅場を乗り切りました。とは言っても自分のエリアを死守しただけで、まだまだ事業所には大量の荷物の山が・・・。新たな荷物を配りつつ、不良債権(不在にして連絡よこしてこない客の荷物)処理をしてきましたが、やはり不良債権は残ってしまうもので、それらが常々頭を悩ませています。あんたらの荷物が邪魔で新たな荷物が積めないんだよ! ポチって満足してんなら最初から頼むんじゃねぇよって心底思います。また、このくそ忙しい時に日付と時間を指定しておいてすっぽかし、あとで再配依頼してきて何食わぬ顔で受け取る客。こっちが遅れると怒るくせにどういう神経してんだとブチ切れそうになります。


ところで、昨日はアニメ映画『なぜ生きる』の蓮如上人の台詞

「『聞く一つ』で、大船に乗せる」ということは、阿弥陀仏の命を懸けたお約束だからです

から、本願や成就文、和讃を出して話があったそうです。

『飛雲』「若不生者」の「生」を”信楽に生まれさせる”とする解釈にまた戻りました

に既に書かれていますが、『なぜ生きる2』でしれっと修正したのを内輪ではかねてからの解釈に戻しています。飛雲さんの仰る通り、会員に往生・獲信してほしいという気はさらさらないことが分かります。

話の中で、浄土和讃

若不生者のちかひゆゑ
 信楽まことにときいたり
 一念慶喜するひとは
 往生かならずさだまりぬ


を出して、「若不生者」の「生」は「信楽に生まれさせる」ことだという説の正当性を訴えていたようですが、大間違いです。若不生者のちかひゆゑ」は「往生かならずさだまりぬ」にかかっており、「若不生者 不取正覚」と誓われた阿弥陀仏の第十八願によって、我ら(信楽まことにときいたり、一念慶喜するひと)の往生が間違いなく定まることを教えられているのです。

「若不生者不取正覚」といふは、「若不生者」はもし生れずはといふみことなり、「不取正覚」は仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。このこころはすなはち至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生れずは仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり。(尊号真像銘文)

にて聖人が仰せのように、本願の仰せを疑いなく信楽した人、信楽を獲た人が、阿弥陀仏の浄土に若し生まれることができなければ決して仏に成らないというのが聖人の解釈です。大沼師の解釈をパクって聖人とは別のことを言っておいて、

さらに親鸞めづらしき法をもひろめず、如来の教法をわれも信じ、ひとにもをしへきかしむるばかりなり。(御文章)

を挙げて自分の説を頑なに主張しているとは、どういう神経をしているのかと疑わざるを得ません。

(159)
一 前々住上人へある人申され候ふ。開山(親鸞)の御時のこと申され候ふ。これはいかやうの子細にて候ふと申されければ、仰せられ候ふ。われもしらぬことなり。なにごともなにごともしらぬことをも、開山のめされ候ふやうに御沙汰候ふと仰せられ候ふ。
(御一代記聞書)

の、親鸞聖人の教えられた通りに教えを説くことは「なにごともなにごとも」の中に入らないのでしょうか?

所詮は浄土真宗を利用して私利私欲を満たしているのが高森顕徹会長であり、親鸞会なのだということです。本当の親鸞聖人の教えを知りたい人、本願に救われて往生したいと願う人は、一刻も早く離れた方が身のためです。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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