身も心も喜びに満ち溢れた「歓喜」ではなく、二心なき本願力回向の「信心」が清浄報土の真因

最強寒波の影響で、日本全国どこも凄い冷え込みです。関東平野部は風雪こそありませんが、氷点下まで冷え込み、今年一番の寒さとなりました。昨日は京都や広島も積雪したというですから、北陸の積雪量は推して知るべしです。その中でも日曜日は高森顕徹会長の話があったそうですが、内容としてはアニメ映画『なぜ生きる』の蓮如上人の台詞

「大悲の願船に乗せられると同時に、私たちの苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わります。」

この中、「幸せな人生にガラリと変わります」とあるが「どうガラリと変わるのか?」という質問に答えるというものだったそうです。話の中で、明法房弁円が歌ったとされる

山も山 道も昔にかはらねど かはり果てたる 我こころかな

の歌を出して話があったようです。

この歌は、親鸞聖人を殺そうと付け狙っていた者が教えの広深さに感服し、転じてお弟子の一人となった明法房のドラマティックな半生を歌ったものと言えます。本願を信じ念仏して喜ぶ幸せな人生に変わったことに違いはないでしょう。ただ、あくまで明法房自身のことであって、万人に当てはまるものと言えるかは定かではありません。それにこの歌だけでは明法房の心のどこがどのように変わり果てたのかが不明です。もし「高森顕徹会長の深いミココロで分かる」とでも思っているなら、その人は相当深くマインドコントロールされているでしょう。


他力の信心を得ても煩悩は変わらず満ち満ちていることは、

「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとへにあらはれたり。(一念多念証文)

とあることで分かりますし、そんな煩悩の雲霧でどれだけ覆われていようと浄土往生の妨げとはならないことは

よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。凡聖・逆謗斉しく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、つねに照護したまふ。すでによく無明の闇を破すといへども、貪愛・瞋憎の雲霧、つねに真実信心の天に覆へり。たとへば日光の雲霧に覆はるれども、雲霧の下あきらかにして闇なきがごとし。(正信偈)

と教えて頂きます。もし獲信のタイミングで「苦しみの人生が幸せな人生にガラリと変わる」というなら、煩悩が少しも変わらないというのは考えられません。また、そんな分かりやすい浄土往生の証拠はないでしょう。報土の真因は、このように「人生(心境)がガラリと変化したこと」としてよいはずです。ところが、

しかるに『経』(大経・下)に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。「信心」といふは、すなはち本願力回向の信心なり。「歓喜」といふは、身心の悦予を形すの貌なり。「乃至」といふは、多少を摂するの言なり。「一念」といふは、信心二心なきがゆゑに一念といふ。これを一心と名づく。一心はすなはち清浄報土の真因なり。(信文類)

【現代語訳】
ところで『無量寿経』に「聞」と説かれているのは、わたしたち衆生が、仏願の生起本末を聞いて、疑いの心がないのを聞というのである。「信心」というのは、如来の本願力より与えられた信心である。「歓喜」というのは、身も心もよろこびに満ちあふれたすがたをいうのである。「乃至」というのは、多いのも少ないのも兼ねおさめる言葉である。「一念」というのは、信心は二心がないから一念という。これを一心というのである。この一心が、すなわち清らかな報土に生れるまことの因である。

とあるように身も心も喜びに満ち溢れた「歓喜」ではなく、二心なき本願力回向の「信心」が清浄報土の真因だと教えられています。大いに喜びが有るから報土往生とか、喜びが少ないから報土往生できないとか、喜びの有無・大小によって報土往生か否かが分かれるとは言われていません。あくまで本願を二心なく信じているかどうかで報土往生か否かが分かれるのです。「苦しみの人生が幸せな人生にガラリと変わる」とか変わらないとかで報土往生が決まるのではありません。


「ガラリと変わる」というような物凄い心境の変化、絶対の幸福だとかいう幻想的な楽を追い求めている人は救われない

にも書きましたが、親鸞会では「苦しみの人生が幸せな人生にガラリと変わる」ことをもって浄土往生の証拠としている節があります。逆にそのようにガラリと変わらないのは、まだ獲信していないからだと言うからです。そして会員は、いつしかこのような物凄い心境の変化、幸せの人生にガラリと変わることを目的にするということになってしまいます。これでは現世利益を追い求める新興宗教と何ら変わりません。

浄土真宗は、衆生を漏らさず浄土往生させるという阿弥陀仏の崇高な願い、それを果たし遂げる行が納まった南無阿弥陀仏の大功徳を回向せられ、それにより我らが往生成仏してゆくということが教えられています。私の苦しみの人生を幸せの人生にガラリと変えるということではないのです。そのような変化を追い求めるのではなく、阿弥陀仏の崇高な願いの言葉を計らい無く信じ受け容れ念仏することが大事です。これが本願のお心に叶い、善知識方の恩徳にも報いることになります。会員の皆さんには、現世利益で釣らなければ聞く者のモチベーションを維持できないような団体から離れ、本当の浄土真宗を聞かれるように願います。
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全く、仰る通りだと思います。

断続的に約20年、精神科に罹っていますが症状は特に緩解せず、最近も色々あって「もう充分頑張って生きただろ。いい加減疲れた。もう仏にならせてもらおうか」と割と真剣に考えてます(と死ぬ死ぬ詐欺を続けてアラフォーまできたので、しばらくはシレっと生きてる気もしますが)。
煩悩具足は変わらないし、絶対の幸福?なにそれ食べれんの?って感じです。
ただ、俺は世界一幸せな自殺志願者だと思います。
どうしてか、はこの記事の通りなので割愛しますが、自分の中で関連しているお聖教を、何かの回し者のように再び「安心決定鈔」から引用させて頂きます。

【まことに往生せんとおもはば、衆生こそ願をもおこし行をもはげむべきに、願行は菩薩のところにはげみて、感果はわれらがところに成ず。世間・出世の因果のことわりに超異せり。和尚(善導)はこれを「別異の弘願」とほめたまへり。衆生にかはりて願行を成ずること、常没の衆生をさきとして善人におよぶまで、一衆生のうへにもおよばざるところあらば、大悲の願満足すべからず。面々衆生の機ごとに、願行成就せしとき、仏は正覚を成じ、凡夫は往生せしなり。かかる不思議の名号、もしきこえざるところあらば正覚取らじと誓ひたまへり】

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

Re: R1000様

まだR1000さんにお会いしていないので、それまで(勿論お会いした後でもですが)死なれては困りますな(´・ω・`)

自分もメンタル弱いので、重い苦果がやってきた時は自殺を考えることもあります。しかしそれは早く仏に成りたいというよりは今より楽になりたいというだけであって、煩悩しかない身の上は往生・成仏させてやるといっても有難いと感じません。それより目の前の苦しみを救うてほしいと望んでいます。それが解決したとて新たな問題が次々やってくるというのに、先読みが出来ない阿呆な自分です。であるからこそ余計哀れに思召して本願を発して下さったことが有難くかたじけなく思われます。

『安心決定鈔』のお言葉、有難く拝読させて頂きました。この別異の弘願、本願力回向ということがかつての仲間達にも判ってもらえたらと思うんですがね・・・
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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