目的もハッキリしないし、そこまでの道順もハッキリしないので、”生きる力”とやらは湧いてきません

よく親鸞会の学生部会で出されたのが、『なぜ生きる』

 生きる目的がハッキリすれば、勉強も仕事も健康管理もこのためだ、とすべての行為が意味を持ち、心から充実した人生になるでしょう。病気がつらくても、人間関係に落ち込んでも、競争に敗れても、
「大目的を果たすため、乗り越えなければ!」
と”生きる力”が湧いてくるのです。
 ニーチェは『道徳の系譜』に、なぜ生きるかがわかれば、「人間は苦悩を欲し、苦悩を探し求めさえする」と書いています。方向さえ正しければ、速く走るほど早く目的地に着きますから、損をする苦労は一つもありません。人生の目的成就のためならば、時間、体力、お金をどれだけ使っても、百パーセントそれらは生かされます。使い捨てにはならないのです。(p.35)


の言葉です。どう生きるより先になぜ生きるが大事、人生の目的を正しく知ってこそ充実した人生になる、等の文言で新入生を釣り、偽装勧誘・正体を隠した勧誘を繰り返して組織拡大要員を集めている親鸞会です。私もこのように聞いて「確かにそうだ」と思い入会していった口ですが、しかし聞いても聞いても人生の目的・生きる目的は退会するまでハッキリしませんでした。そして人生の目的・生きる目的を果たす手段もハッキリせず、活動を続けたからとて目的達成に近づいているという確かな実感などまるでありませんでした。親鸞会にゆかりがある人で、他の方々はどうだったのか。ご意見を伺いたいところです。

確かに道に例えれば、目的地と道順さえ正しければ、上の言葉通り速く走るほど早く目的地に着きますし、損をする苦労は一つもないかも知れません。しかし、人生そのようなパターンばかりかと言えばそうではないことは皆さんご承知の通りです。

今学生や浪人生が必死に励んでいる受験一つ取っても、頑張ったから志望校に合格できるとは限りません。意中の男性・女性のハートを掴みたいと思っても、時間、体力、お金をどれだけかけたとてそれらが生かされるかどうかは極めて不明確です。自分の持てる範囲でどれだけ努力しても銀メダルで終わるアスリート、メダルはおろか表彰台にも登れないアスリートがどれだけあることか。

後々幸せな気分の状態で、過去の努力や苦労を振り返って「今までの自分の行動はあながち無駄ではなかったかもな」と思い返すことはあり得るでしょうが、このように目的がハッキリしていたとて報われるかどうか不明確なことばかりです。まして目的がハッキリしないことが叶うでしょうか? そして目的を果たす手段、道順もあいまいだったら? それとも人生の目的は宝くじや棚ぼた的なもので偶然達成するものなのでしょうか?


「人生の目的は後生の一大事の解決」
「信心決定して絶対の幸福になること」


と説いてはいますが、そう聞いたとて、目的地や受験合格・恋愛成就・金メダル等のように自分の中でハッキリとはしませんでした。そして、それを果たす手段として教えられるものも、続けたからとて目的に近づいているという確かな実感もなく、こちらも自分の中でハッキリとはしませんでした。このように目的もハッキリしないし、そこまでの道順もハッキリしないので、”生きる力”とやらは湧いてきませんでした。それどころか現実の苦しみにもがいて、自殺したいと何度思ったことか。熱心な会員からしたらこういうのは「聞き誤り」の一言で片づけるのでしょうが、もし自分のように思っている(いた)方が多数おられるなら、そんな誤りやすい、難しい教えが浄土真宗かということになってしまいます。

何度も書いていますが、浄土真宗は私が本願の救いに向かって進んでいくという教えではありません。親鸞会の教えは向きが真逆です。阿弥陀仏が私に向けて差し向けられている救いの御名をそのままお受けする、それで私が往生成仏していくという教え、これが浄土真宗です。目的と手段を普段我々が考えているように捉えていたら誤りです。それでは本願のお心を正しく受け取ることはできず、せっかくの如来、高僧知識方の骨折りも水泡に帰すというものです。会員の皆さんには、早く親鸞会の邪義に気づいて利用・搾取される人生からはさよならし、本願を信じ念仏して頂きたいばかりです。
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No title

お久しぶりです。
ようやく関東と関西の往復から抜け出しました(爆。

さて
>親鸞会にゆかりがある人で、他の方々はどうだったのか。ご意見を伺いたいところです。

私の場合は、学生時代はむしろだんだん遠ざかっていっているように思えましたね。たとえはおかしいですが、「飲むだけで痩せられる薬」を買ってみたら、実は飲み方が難しかったとか生活習慣にも配慮が必要だった、みたいに後出しジャンケンの如く後から後から色々出てきたというような感じでしょうか。

「目的地」と「それまでの道のり」のような関係だと、どうしても現在地と目的地に隔たりがありますもんね。「そこまでたどり着けない人はどうするんだ」と思ったものでした。弥陀の本願はそうではなかったのでした。

>あさ川進様

お疲れでした。あさ川さんの会社には出向のようなものがあるのですね。うちは役職以上でなければ相応の理由が無い限り他に出向くことはないもので・・・。

なるほど。。。聞いていくと救いの条件というか、縦の線まで辿り着くまでに通らねばならない関門がいくつも出現してくるので、遠ざかっていっているように感じられたのもご尤もですね。

辿り着けない=救われない=必堕無間

ということですから、とても「全人類が救われる」とは言えません。仰る通り本願の救いは既に成就している本願力を回向せられるものですから、目的地と手段のような関係とは違いますね。
プロフィール

淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
singikensho@yahoo.co.jp
(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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