新入生の皆さんはこんな話に注意!(9)

新入生の皆さんはこんな話に注意!(8)の続きです。

※以前からの非難により、現在は、勧誘の最初の段階で仏教とか『歎異鈔』や『教行信証』に学ぶと触れる大学もあります。

※以下のような内容をサークルで聞いたら親鸞会の可能性が高いです。

※サークルや先輩のメルマガ登録を勧められるたら、親鸞会である可能性があります。

※今日、紹介する人間の実相の話は、一万年堂出版『こころの朝』(木村耕一編著)p.150~p.156に出ています。この本や、『なぜ生きる』『光に向かって100の花束』などを先輩が持っていたら、親鸞会のサークルと思って間違いないでしょう。

※今日の話は、掛け軸を示しながら、ミニ合宿などで話されることが多いです。


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◎人間存在そのものの苦しみ

人生の目的は何か? やがて必ず死んでいくのに、なぜ生きねばならないのか?
真面目に生きている人ならば、必ず疑問に思う所だろう。
しかし、一見簡単なように思えて、実はさっぱり謎に包まれているのが「なぜ生きる?」という問である。

日本に藤村操という青年がいた。彼は旧制一高(今でいう東大)で西洋哲学を学び、人生の目的を探求したのだが、納得のいく答えを見つけることができなかった。
ついに「巌頭の感」といわれる遺書を残し、自殺していったのである。
「悠々なるかな天壌、遼々たるかな古今、五尺の小躯をもってこの大をはからむとす。ホレーショの哲学、何等のオーソリティーに価するものぞ。万有の真相は唯一言にして悉す、曰く『不可解』我この恨みを懐いて煩悶ついに死を決す」
大宇宙からしたら本当にちっぽけな存在である私が、生きていて何の意味があるのか? 私一人いてもいなくても何か変わるところがあるのか? 生きる意味が分からず、周りに聞いても納得した答えを貰えるどころか逆に心配され、「気にするな」とぼかされ、「生きよ生きよ頑張って生きよ」と言われるだけ。
そうやって生きてもやがて必ず死ぬ。生きれば生きるだけ苦しまねばならないのなら、今死んだ方がマシではないか?
頭のいい人はこういう人生の不可解さに気がつく。
芥川龍之介、太宰治、川端康成など、歴史的な小説家が自殺しているのも、人間存在そのものが疑問であり、苦しみだったのではなかろうか?

かつてロシアにトルストイという大文豪がいた。
「アンナカレーニナ」「戦争と平和」など、数々の名著で知られ、多くの人に称賛されている。
そのトルストイが晩年気がついたのもその事だった。そしてある時から一切執筆活動を止め、あらゆる財を投じて西洋中の学問、文学、哲学、宗教を調べ、人生の目的を探求を始めた。
10年あまりの歳月が流れ、トルストイは『懺悔』という本を出版した。
それを読んだロシアの青年子女は次々自殺し、ロシア政府は発刊を禁じたと言われる。
そこにはどんな内容が書いてあったのか?
詳しくは『懺悔』を読んでもらいたいが、いかなる学問、文学、哲学、宗教をもってしても、「人生は無意味である」という一行を否定することができなかったということが書かれている。
それも名もなき学者の論文ではなく、文豪トルストイの本だということでその衝撃は大きかった。
(『歎異鈔をひらく』どころではなかったでしょう)

『懺悔』の中で、トルストイは東洋の寓話と言って、否定することのできない人間の真実の姿を紹介している。
それは仏教説かれた釈迦が『仏説譬喩経』に説かれたことが元になっている、とても大事な話。『懺悔』の中の話と実際説かれているのとは違っているので、今日は釈迦がどのように話をしたかを紹介したい。
この話は掛け軸にもなっている有名な話で、「人間の実相」と言われる。人間の本当の姿をたとえで表されたものである。


◎人間の実相

ある日、釈迦の法話会場に、一人の王様が参詣した。名を、勝光王という。
初めて仏法を聴く勝光王に、釈迦は、「人間とは、どんなものか」を例えで説いたのである。

王よ、それは今から幾億年という昔のことである。ほうぼうと草の生い茂った、果てしない広野を、しかも木枯らしの吹く寂しい秋の夕暮れに、独りトボトボと歩いていく旅人があった。
ふと旅人は、急ぐ薄暗い野道に、点々と散らばっているの白い物を発見して立ち止まった。いったい何だろうと、一つの白い物を拾い上げて旅人は驚いた。なんとそれは、人間の白骨ではないか。どうしてこんな所に、しかも多くの人間の白骨があるのだろうか、と不気味な不審を抱いて考え込んだ。
そんな旅人に、まもなく前方の闇の中から、異様なうなり声と足音が聞こえてきた。闇をすかして見ると、彼方から飢えに狂った、見るからに獰猛な大虎が、こちら目掛けて、まっしぐらに突進してくるではないか。
旅人は、瞬時に白骨の散らばっている意味を知った。自分と同じく、この野道を通った旅人たちが、あの虎に食われていったに違いない。同時に旅人は自分もまた、同じ立場にいることを直感した。驚き恐れた旅人は無我夢中で、今来た道を全速力で虎から逃げた。
しかし、所詮は虎に人間はかなわない。やがて猛虎の吐く、恐ろしい鼻息を身近に感じて、もうだめだと旅人が思った時である。どう道を迷って走ってきたのか、道は断崖絶壁で行き詰まっていたのだ。
絶望に暮れた彼は、幸いにも断崖に生えていた木の元から一本の藤蔓が垂れ下がっているのを発見した。旅人は、その藤蔓を伝ってズルズルズルーと下りたことはいうまでもない。
文字通り、九死に一生を得た旅人が、ホッとするやいなや、せっかくの獲物を逃した猛虎は断崖に立ち、いかにも無念そうに、ほえ続けている。
「やれやれ、この藤蔓のおかげで助かった。まずは一安心」と旅人が、足下を見た時である。旅人は思わず口の中で「あっ」と叫んだ。
底の知れない深海の怒涛が絶えず絶壁を洗っているではないか。それだけではなかった。波間から(青と赤と黒の)三匹の大きな竜が、真っ赤な口を開け、自分が落ちるのを待ち受けているのを見たからである。旅人は、あまりの恐ろしさに、再び藤蔓を握り締め身震いした。
しかし、やがて旅人は空腹を感じて周囲に食を探して眺め回した。

その時である。
旅人は、今までのどんな時よりも、最も恐ろしい光景を見たのである。
藤蔓の元に、白と黒のネズミが現れ、藤蔓を交互にかじりながら回っているではないか。やがて確実に白か黒のネズミに、藤蔓はかみ切られることは必至である。絶体絶命の旅人の顔は青ざめ、歯はガタガタと震えて止まらない。
だがそれも長くは続かなかった。それは、この藤蔓の元に巣を作っていたミツバチ、甘い五つの蜜の滴りを彼の口に落としたからである。旅人は、たちまち現実の恐怖を忘れて、陶然と蜂蜜に心を奪われてしまったのである。

釈迦がここまで語ると、勝光王は驚いて、
「世尊(釈迦のこと)、その話は、もうこれ以上、しないでください」
と叫んだ。
「どうしたのか」
「その旅人は、なんとバカな、愚かな人間でしょうか。それほど危ない所にいながら、なぜ、五滴の蜜くらいに、その恐ろしさを忘れるのでしょうか。旅人がこの先どうなるかと思うと、恐ろしくて聴いておれません」
「王よ、この旅人をそんなに愚かな人間だと思うか。実はな、この旅人とは、そなたのことなのだ」
「えつ、どうして、この旅人が私なのですか」
「いや、そなた一人のことではない。この世の、すべての人間が、この愚かな旅人なのだ」
釈迦の言葉に、聴衆の一同は驚いて総立ちになった。


◎譬えの説明

(詳細に話がなされますが、それぞれが何をあらわすか簡単に書きます。)

・旅人…全ての人。
人生を旅人に例えた流行歌は多い。昨日から今日、明日へと進んでいく。一ヶ所に止まっておれない。
また、旅には晴れの日、雨の日、風の日、雪の日、様々あるように人生も順境、逆境様々ある。
そして、旅では色々な人との出会いがあるように、人生にもいろいろな出会いがある。

・秋の夕暮れ…どこか淋しさと虚しさに包まれている人生のさま。

・無人の広野…独生独死独去独来。
肉体の連れ(家族、友人、恋人など)はいても、私達の魂は孤独。どんな近しい者でも本当に自分を理解してくれる者はいない。

・白骨…他人の死。

・虎…無常の風。
一人に一匹虎がついている。私達は100%死ぬ。
しかし、虎は見えない。いつ死ぬかわからない。
しかも、虎は情け容赦なく襲ってくる。無常は無情に通ずといわれる。人は病気では死なないが、無常の風に誘われたらひとたまりもない。

・松の木…私達があて力にして生きているもの。健康、家族、金、財、地位、名誉、政治、経済、科学、医学、芸術、スポーツ、文学、哲学、宗教など。
死ぬときには何一つ明かりにはならない。

・藤蔓…寿命。
私たちが最も頼りにしているもの。
人生80年といっても、過ぎ去ってみればあっという間。
しかも、平均寿命まで生きていられるとは限らない。

・白と黒のネズミ…昼と夜。
私たちは昼死ぬか夜死ぬか、どちらかのネズミに藤蔓を噛み切られて死ぬ。

・深海…後生の一大事。
藤蔓が切れたら必ず堕ちる。必堕無間。
(4月は深海については話されないことが多いです。)

・三匹の毒竜…貪欲(青い竜)、嗔恚(赤い竜)、愚痴(黒い竜)の三毒の煩悩。
必堕無間の原因といわれる。地獄という世界があってそこに落ちていくのではなく、自分の生み出した世界に自分がおちいっていく。

・蜂蜜…五欲。
食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲。その他限りない人間の欲望。
私たちは、あの旅人のような状況にありながら、虎も忘れ、ネズミも忘れ、深海もそこに口を開けて待っている竜も忘れ、欲を満たすことに一生懸命。
こんな一大事を抱えておりながら、一大事が一大事とわからないのが一大事なのである。

その一大事とその解決を教えられた仏教を私たちは聞かねばならない。

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この人間の実相の話がその通りだと思い、サークルを続ける人が多いような気がします。
しかし、その解決について正しいことが教えられているとは限らないので、注意が必要です。

(つづく)
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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