「苦しみの人生が幸せな人生にガラリと変わる」などと説くことは、二種深信以外の要素、つまり三業で信心の有無を判定していことに他ならない

昨日も高森顕徹会長の話があったようで、内容としては

映画『なぜ生きる』の中の蓮如上人のお言葉
「大悲の願船に乗せられると同時に、私たちの苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わります」
とはどう変わるのでしょうか?


という質問に答えるものだったそうです。この問答は

身も心も喜びに満ち溢れた「歓喜」ではなく、二心なき本願力回向の「信心」が清浄報土の真因
本願に疑い晴れても、何もかもハッキリするわけではない

等で書いたように1月2月にもありました。今回は『愚禿鈔』のお言葉

本願を信受するは、前念命終なり。[「すなはち正定聚の数に入る」(論註・上意)と。文]
即得往生は、後念即生なり。[「即の時必定に入る」(易行品 一六)と。文
また「必定の菩薩と名づくるなり」(地相品・意)と。文]


を出し、「(浄土真宗の)信心は、信(まこと)の心、仏心を阿弥陀仏から受けること。それは今までの命の臨終になる。肉体の臨終より心の臨終を急げ」ということで、

「某[親鸞]閉眼せば、賀茂河にいれて魚にあたふべし」と[云々]。これすなはちこの肉身を軽んじて仏法の信心を本とすべきよしをあらはしましますゆゑなり。これをもつておもふに、いよいよ喪葬を一大事とすべきにあらず。もつとも停止すべし。(『外邪鈔』)

を引いて話をしたそうです。


確かに本願を信受する前と後とでは変わるところはあります。ただし、

幸せな人生にガラリと変わったのが信心獲得なのか?

といったらそれは違います。あくまでも本願の仰せをそのまま聞き受けた、本願力回向の救いをそのまま受け容れたのが信心獲得であり、人生がどう変わったかとは無関係です。

信心獲得すると、苦しみの人生が幸せな人生にガラリと変わる

などというのは、逆に言えば

苦しみの人生が幸せな人生にガラリと変わらなければ信心獲得ではない

ということです。これは二種深信以外の要素、つまり三業で信心の有無を判定していることに他なりません。苦しみの人生が幸せな人生にガラリと変わったとか変わらないとかというのは、我々の心境、意業の変化だからです。最近ちょくちょくコメントをされる名無しさんと同じ主張です。高森会長も言うことがその場その場でコロコロ変わるので当てにならないことがよく分かります。

ところで、

信心を獲得したその時に正定聚の数に入る

とは教えられますが、「正定聚の数に入った」という自覚が起こるわけではありません。「正定聚の数に入った」という明らかな自覚があれば、七高僧のどなたも仰っていないというのはあり得ないのですが、これは親鸞聖人において初めてなされた解釈です。ですから、

現生で十種の利益を獲る

と教えられていますが、「現生で十種の利益を獲たことが実感として知らされる」ということではないということです。勿論救いの法をお聞かせ頂いて「あぁ、有難いな」と喜ぶ心はあっても、我々の心は変わり通しのため、何か面白くないこと、嫌なことがあったりすればそんな心はどこへやら・・・。逆に、悲しいことにまことの心、変わらない心はちっとも無いと知らされます。仏心を阿弥陀仏から受けるとあっても、我々の心が仏心になるのではありませんし、少しは清らかな心になるとかもありません。あくまで南無(我にまかせよ)阿弥陀仏(必ず救う)の勅命を疑い無くお聞きしたのであって、

「大悲の願船に乗せられると同時に、私たちの苦しみの人生は、幸せな人生にガラリと変わります」

といったような、信心を獲得したその時から我々の心が、幸せな状態にガラリと変化するというものではないことを知るべきです。そして、そんな悲しいあさましい心しか持たない身の上でも、本願を信じ念仏する者を決して見捨てず、間違いなく浄土に往生させると固く誓われた本願の仰せをそのままお受けするだけだということを知って頂きたいと思います。


私たちの人生が苦しみならば、それは私たちが蒔いた種です。ここに因果の道理を持って来なければなりません。お金が無いならば、仕事や人間関係に恵まれないならば、怪我や病気に苦しんでいるならば、その他苦境の原因は全て過去のいずれかに私が蒔いた種が現在苦果として現れているのです。そうやって苦しんでいる現状も、苦しむ心も、信心を獲得したその時に全て解決するかと言ったら全くそんなことはありません。お金が無い現状も、お金が欲しい心もそのままです。物事に恵まれない現状も、恵まれたいと求める心もそのままです。怪我や病気の状態も、それにより苦しむ心もそのままです。こんなものは死ぬまで変わりません。

このような浅ましい者を、このように浅ましい身の上のままで、往生成仏させるというのが大いなる慈悲の心によって起こされた阿弥陀仏の本願です。この本願に救われるにあたって因果の道理を持って来てはいけません。この本願は因果の道理を超えています。本願の救いにあたって、

・因果の道理を深信しなければならない
・廃悪修善に努めなければならない
・19願の善を精一杯やらなければならない


などといったことは一切ありません。苦しみの人生が幸せな人生にガラリと変化するなどと現世利益をちらつかせて聞く者を釣り、本願の救いに因果の道理を絡めて救いとは別方向に誘導し、組織拡大に利用し搾取するのが親鸞会のやり方で、こんな親鸞聖人の名を語った偽装浄土真宗、偽装親鸞聖人の教えは本当に許せません。「幸せな人生にガラリと変わった」などということは他宗教の信仰体験でもしばしば語られることなので、もしこんな体験を求めるなら別に親鸞会でなくともよいのです。


親鸞聖人や覚如上人のお言葉を用いていても、本とすべき「仏法の信心」が親鸞会では正しく説かれていません。それでは何十年聞いていてもその信心を獲得できないのは当たり前のことです。会員の皆さんには、ガラリと変わるというような心境の変化や、絶対の幸福だとかいう幻想的な楽を求めるのではなく、南無阿弥陀仏の六字のすがたをよく聞いて信心獲得し、往生を願って頂きたいと思います。
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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