大沼師や伊藤師だけでは飽き足らず、批判者が挙げた根拠も使って法を捻じ曲げる高森顕徹会長

『飛雲』教えを徹底的に捻じ曲げて、会員を騙すこと以外考えていない外道の親玉高森顕徹会長

に既に挙がっていますが、日曜日の高森会長の話は酷い内容でした。相変わらず「若不生者」の「」はすべての人を「信楽」の身にすることだと説いていたようですが、こんなものは可愛いと思えるほどに今回高森会長から発せられたことはトンデモ邪義です。

本題の前に、これも可愛いもんですがツッコミを一つ。「どうすれば大船に乗れるのかがこの本願だけでは分からない」として本願成就文を挙げたのに、

其の名号を聞くとは、阿弥陀仏の本願を聞くこと

と説明をしていたことも紹介しておきます。おいおい、本願だけでは分からないって言ってるのに、「本願を聞くこと」とはどういうことだよ・・・(-_-;) その後、

本願の何を聞くのか、それは本願の生起本末を聞くこと

と教えたそうですが、成就文を見てもそれは分かりません。「仏願の生起・本末」を聞くというのはあくまで親鸞聖人のご解釈であります。まぁこれは良しとしても、親鸞会では邪義を織り交ぜた「生起」の話ばかりで、肝心の「本末」は間違って教えられています。

『親鸞会公式ホームページ』「聴聞」とは何をどう聞くのか

にて「親鸞聖人が「本末」の「末」で表されているのは、その十九、二十願であり、「方便の願」ともいう。」と明記していますから、「仏願の生起・本末」の「」が18願、「」が19願・20願というのは親鸞会の公式見解です。これは間違いです。「仏願の生起・本末」の内容に19願・20願は入りません。まかり間違っても、18願の世界に入るためには19願から始めねばならないといったは教えは浄土真宗にはありません。それは高森教であって親鸞聖人の教えとは異なります。このように教えが間違っていますから、それをまともに信じている会員の皆さんが親鸞聖人の教えられる信心を獲得できないのは当たり前です。

ちなみに過去において高森顕徹会長は「仏願の生起・本末」を18願の内容のみで説明していました。これも時代とともに変わる教えの一つです。

『元会員から見た浄土真宗親鸞会』「仏願の生起本末」の本とは18願、末とは19願と20願のこと???(学生大会より)

に書かれていますので参照して下さい。


さて、本題に入ります。本願成就文を挙げ、「親鸞聖人や蓮如上人が木像や絵像を本尊とせず、名号を本尊とされた根拠も成就文である」ということまでは従来通りでした。問題は、

木像や絵像は「人」、名号は「法」

だと言い、人はやがて滅ぶが法は三世十方を貫くとしてお釈迦様が臨終

法に依りて人に依らざれ

と説かれたのだと話した点です。何を根拠にこんなことを言っているのか、まことにもって「珍らしき法」であると同時に、こんな邪義の正当化にお釈迦様のお言葉を利用するとは言語道断です。阿弥陀仏を誹謗する外道の親玉としか言いようがありません。

親鸞会では独自の「方便」論を展開しているので分かりづらいかも知れません(方便については下記参照)が、本来色も形も無い、我々の認識を超えた真如法性を私達に知らしめようと形を表し、すがたを示しているのが「方便法身」である阿弥陀仏です。

法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。この一如よりかたちをあらはして、方便法身と申す御すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまひて、不可思議の大誓願をおこしてあらはれたまふ御かたちをば、世親菩薩(天親)は「尽十方無碍光如来」となづけたてまつりたまへり。この如来を報身と申す、誓願の業因に報ひたまへるゆゑに報身如来と申すなり。報と申すはたねにむくひたるなり。この報身より応・化等の無量無数の身をあらはして、微塵世界に無碍の智慧光を放たしめたまふゆゑに尽十方無碍光仏と申すひかりにて、かたちもましまさず、いろもましまさず。無明の闇をはらひ、悪業にさへられず、このゆゑに無碍光と申すなり。無碍はさはりなしと申す。しかれば阿弥陀仏は光明なり、光明は智慧のかたちなりとしるべし。(唯信鈔文意)

この「方便法身」を「報身」とも言うのです。『教学聖典』にもあるので会員の皆さんも言葉だけはご存じかと思いますが、阿弥陀仏の木像も絵像もこうした「方便法身」「報身」であり、真宗門徒ならば敬い拝すべき対象なのです。その木像や絵像を「」だとか言ってやがて滅ぶものだとの放言、謗法罪もいいところでしょう。

次に「法に依りて人に依らざるべし」(大智度論)のお言葉ですが、「」「」についての定義がまるで間違っています。このお言葉は、釈尊の説かれた教え、すなわち「」に従うのであって、教えを説く「」に従うのではないということを言われたものです。「阿弥陀仏の木像や絵像を本尊とするのではなく、名号のみを本尊とせよ」という根拠にならないのは当たり前の当たり前のことです。

『飛雲』朝令暮改の人に随ふべからず

にもありますが、親鸞聖人の教え、「」に従うのであって、こんな邪義を堂々と唱え、朝令暮改の無理難題を押し付けるような「」に従ってはならないということです。また、上の『大智度論』のお言葉は親鸞会では一度も目にも耳にもしなかった言葉です。批判ブログでは

『親鸞会教義の誤り』善知識には無条件服従しなければならないのか 3

や『飛雲』でしかお目にかかったことがありませんが、批判者が挙げた根拠も使って法を捻じ曲げるのは最早高森会長の常套手段となっています。有名な例では、

おほよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。これを要門といふ。これを仮門となづけたり。この要門・仮門といふは、すなはち『無量寿仏観経』一部に説きたまへる定善・散善これなり。定善は十三観なり、散善は三福九品の諸善なり。これみな浄土方便の要門なり、これを仮門ともいふ。この要門・仮門より、もろもろの衆生をすすめこしらへて、本願一乗円融無碍真実功徳大宝海にをしへすすめ入れたまふがゆゑに、よろづの自力の善業をば、方便の門と申すなり。 (一念多念証文)

が挙げられると思います。この文をもって、要門、仮門、定善散善の教えは真実を直ちに受け入れない衆生を導くためにしばし仮に設けられた方便の教説であることを批判者が示したところ、高森会長が逆に19願を勧める根拠として利用したというものです。大沼師や伊藤師だけでは飽き足らず、批判者からもパクるとはさすが盗用、剽窃の名人ですね。


会員の皆さんのほとんどはこうした邪義を聞いていても、疑問に思う人はいないでしょう。それどころか、「こんな意味があったのか!」などと感動している人さえあるかと思います。深いマインドコントロール下にある人は難しいかも知れませんが、阿弥陀仏を誹謗し、他人の著書や文章を剽窃、盗用して多くの人を騙す「」が高森会長であることに早く気づいて、親鸞聖人が教えられる「」に従って頂きたいものです。


【参照】
『WikiArc』15 方便・隠顕
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No title

一流の詐欺師は騙した相手に悟られずにスマートに騙すものです。
その点、高森顕徹は二流、三流の詐欺師でしょう。喋った尻からウソがバレバレですから。こんな三流詐欺師のウソも見抜けず騙されている会員が情けなく、哀れです。学生時代の友人も少なからず親鸞会に残っているようです、
 何とかならんかなーと思いながら何ともできなくでもどかし日々です。

>名無し様

こんな二流、三流の詐欺師に何年も捕まっていたとは私も情けない限りですが、気付けるチャンスが前より随分とありながらこんな詐欺師を未だ見限れずに留まっている人達はもっとお気の毒です。

こちらから色々言っても上司に報告してしまい、上司の指示で無視されてしまうケースが多く困ったもんです。何とかしたいんですがね・・・
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平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


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平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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