親鸞会会員の誤解―親鸞会でしか真実は説かれていない(1)

会員の皆さんが親鸞会に留まり活動する理由の一つとして、

親鸞会でしか真実は説かれていない

という思い込みというか、早合点というか、誤解があります。それで、教義のどの部分を真実と思うかと言えば、苦悩の現実、老病死の問題、煩悩といった、機の部分に関してです。例するに、

『親鸞会公式ホームページ』親鸞会 お釈迦様の「人間の実相」の譬えで後生の一大事を明らかに

などにある、親鸞会で説かれる”無常の虎”の譬え話を仏説だと思い込み、こういう話をする先生だから説かれることは全て真実だと早合点、誤解しているのです。

この”無常の虎”の譬え話、既にご存知の方は多いでしょうが『仏説譬喩経』に説かれている内容とは随分違います。それらしい立派な掛け軸がありますので、一部では譬え話が変化して親鸞会でなされるような話が伝わっている地域があるのかも知れません。また、”無常の虎”の譬え話は『会報第一集』にもあるので、華光会か大沼法竜師から拝借した可能性があります。

確かに、あんな危険なところにぶら下がっておりながら蜂蜜のことしか頭に無い旅人の姿はまさしく私の事だと納得させるだけの話ではあります。私も、これが人間の本当の姿だと思い、その解決こそが人間に生まれて為すべき事だと思ったからこそ、ふらふらではありましたが親鸞会で聞き求めていた一人です。しかし、『仏説譬喩経』に説かれている譬え話というからには、『仏説譬喩経』に忠実でなければその話はウソです。

・譬えにはある程度の自由度があって、話を変えてもいいではないか
・高森先生は私達に分かりやすく話をするために、敢えて話を変えられている


等の言い訳をしたり、そんな文言で納得してしまう人は相当にマインドコントロールされており、高森本仏論者だと言うべきでしょう。親鸞会でも聞いたことがあるはずです。経典のお言葉には一字一句に深い意味があり、これを勝手に加減してはならないと。教学試験においても、根拠が経典の問題では一字一句正確に書けないと×でしょう? その経典のお言葉を勝手に加減して内容まで変え、無常と罪悪で聞く者をせめ立てるだけでなく、組織拡大要員として利用・搾取している高森顕徹会長は、既にさとりを開いた仏なのでしょうか? それとも親鸞聖人の名を語った一新興宗教の会長なだけでしょうか? 答えは言うまでもありません。


譬え話と言えば、「二河白道の譬え」も『観経疏』散善義に説かれている内容とは随分違います。善導大師が説かれたというからには、『観経疏』に忠実でなければその話は同じく嘘です。原本と現代語訳については、

『飛雲』法論を怖れる「群賊」

等をご覧下さい。それにしても、善導大師が『観経疏』の最後に

一句一字加減すべからず。 写さんと欲するものは、もつぱら経法のごとくすべし、知るべし。

とまで仰っているお言葉を勝手に加減して内容まで変え、信後の信心守護の譬えを信前の聞法求道の譬え、阿弥陀仏に救われるまでの心の道のりを譬えたものだと宣っている高森会長という人物は一体何者でしょうか? 『親鸞会教義の誤り』宿善とは8にあるように、伊藤康善著『仏敵』が根本聖典の善知識様という表現が適切に思えます。


ついでに、時々話される『法華経』の「長者窮子の譬え」にも触れておきましょう。ご無沙汰かと思いきや、

『浄土真宗親鸞会 宇治金時にあこがれて』二千畳座談会で、長者窮子の譬えを学びました

にあるように2010年11月21日に、また

『あさ川進の、宗教と私』3/3 学生大会の話(のあらまし)

にあるように2013年3月3日にも話がなされたようです。更には、

【浄土真宗親鸞会】お釈迦様の『長者窮子の譬え』に学ぶ

こんな動画まであります。私は若かりしK講師長がアシスタントをしていたビデオ法話でしか聞いたことがありませんでしたが。さて、この話も大まかな流れは合っているものの、『法華経』信解品に説かれている内容とは随分違います。譬えが何を表しているのかもまるで異なります。浄土三部経以外の経典からも阿弥陀仏の大悲を汲み取ろうという姿勢は大事ですが、「長者窮子の譬え」は”阿弥陀仏のご方便”を譬えたものではありません。まして高森会長が言うような、”我々をどうしたら決勝点まで出させる事が出来るのかと言う弥陀のお計らい”を譬えたものではありません。所詮は『教行証文類』さえまともに読んだことがないのですから、『仏説譬喩経』も『法華経』も読んだことがあるはずがありません。


ところで、会員の皆さんに質問です。皆さんは「後生の一大事を助かろうとして」高森会長の話を聞いていることと思いますが、「後生の一大事を助かろうとして」『仏説譬喩経』や『法華経』を読むことを何と言うでしょうか?

そう、親鸞会の定義では、読誦雑行です。内容を聞くことも同じことです。正月やお盆、彼岸の墓参りすら忌み嫌う会員が、実は雑行をやりまくっているということがこれでも分かると思います。特に『法華経』は自力修行によって成仏を目指すことを説くものですから、19願よりも真宗に遠い教えです。

親鸞聖人は、信後の信心守護を譬えた「二河白道の譬え」は『教行証文類』に引かれ、『愚禿鈔』『一念多念証文』等でも度々解説、紹介されています。が、”黒白二鼠”の譬えと「長者窮子の譬え」は、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人の書かれたものの中には出てきません。ということは、我々が真実信心を獲る上でさして重要でない譬え話だということです。


このように、親鸞会で説かれていることは一見真実らしく聞こえますが、実際は経典や聖教に基づいていないことが多くあります。内容も大沼師や華光会由来の話がほとんどなので、別に親鸞会でなくとも華光会へ行けば同じような話はいくらでも聞くことができます(大沼師は既にお亡くなりになっていますが)。そして、らしく聞こえるのは我々の機様の部分がほとんどで、救いの法に関しては邪義だらけです。真実が説かれていそうだからと聞き続けても信心も安心も分からないのは聞く側のせいばかりではありません。説かれる内容が高森教では、それをまともに聞いて親鸞聖人の教える信心を獲られる方がおかしいです。

親鸞会で説かれているのは真実ではなく、虚仮であります。親鸞聖人の仮面を被り、救いがあるように見せかけていながら実は無い、平生業成と謳いながら外道の教えに導かれてしまう、そういう教えが親鸞会の教義です。本当の親鸞聖人の教えが知りたければ、親鸞会を離れて聞いた方が断然良いです。幸い現在も築地本願寺や京都本願寺などで定期的に法話が開かれております。他でも各地法話は開催されています。書店に行けば本も沢山あります。稲城選恵和上の本とか、梯實圓和上の本とか、ネットでも探せます(受け取ることも考えて注文してね)。更にはネット動画も普及してきて、法話を聴聞できる、知識を探せる環境は着実に整えられてきています。留まりながらでもよいですが、月々の会費も無駄ですし、親鸞会での知識が邪魔で他の方の話をまともに聞けないことが多いので、見切りをつけてきれいさっぱりさよならした方がよいです。

人は今までと違う環境へ行くことに不安やためらいを感じるようです。特に必堕無間の呪縛に囚われている人は恐怖と言っていいでしょう。しかし大丈夫です。私が言うから大丈夫なのではなく、阿弥陀さまが「南無(我にまかせよ)阿弥陀仏(必ず救うぞ)」と遥か昔から真実の御言葉でお喚びづめですから大丈夫なのです。必ず、只今お助け下さいます。私は何の計らいも無く、そのおこころをそのまま聞き受け念仏するだけです。「親鸞会でしか真実は説かれていない」などと思い込んでいないで、親鸞会という間違った閉鎖された空間から、広い世界へ足を伸ばしてみませんか?


【参照】
『飛雲』”無常の虎”とは何?
『仏説譬喩経』には”無常の虎の譬え”は説かれていない
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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(スパム防止のため@を大文字にしてあります。メール送信時は小文字に変えて下さい。)

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