親鸞会会員の誤解―高森会長は51段目の位にいる(4)

前回、親鸞会公式ホームページでも挙げられていると紹介した末灯鈔第7通、御消息第20通

補処の弥勒菩薩をはじめとして、仏智の不思議をはからふべき人は候はず。

のお言葉は、法然聖人の「如来の誓願には義なきを義とす」「他力には義なきを義とす」というお言葉についての説明の一部です。全文はリンク先をご覧頂きたいですが、該当箇所を抜き出しますと

また他力と申すことは、義なきを義とすと申すなり。義と申すことは、行者のおのおののはからふことを義とは申すなり。如来の誓願は不可思議にましますゆゑに、仏と仏との御はからひなり、凡夫のはからひにあらず。補処の弥勒菩薩をはじめとして、仏智の不思議をはからふべき人は候はず。しかれば、如来の誓願には義なきを義とすとは、大師聖人(源空)の仰せに候ひき。このこころのほかには往生に要るべきこと候はずとこころえて、まかりすぎ候へば、人の仰せごとにはいらぬものにて候ふなり。

と仰せられています。親鸞聖人は18願の説明の際、度々法然聖人のこのお言葉を引かれています。

法然聖人は定善散善等の諸善を廃してただ念仏一行をお勧めになっています(【再掲】法然聖人のお言葉等参照)。法然聖人が「如来の誓願」といった場合は18願を指します。19願や20願ではありません。そのことは、承元の法難のきっかけとなった『興福寺奏状』に、

ここに専修、此のごときの難を蒙らんの時、万事を顧みず、ただ一言に答へん、「是れ弥陀の本願に四十八あり、念仏往生は第十八の願なり」と。何ぞ爾許の大願を隠して、ただ一種を以て本願と号せんや。

とあり、また明恵高弁の『摧邪輪』に、

解して曰く、発菩提心は、是れ仏道の正因、是れ体声なり。専念弥陀は、是れ往生の別行、是れ業声なり。汝が体を捨てて業を取るは、火を離れて煙を求むるがごとし。咲ふべし、咲ふべし。まさに知るべし。これらの解釈の文は、皆菩提心においては、置いてこれを論ぜず、ただ所起の諸行についてこれを判ず。しかるに本願の中にさらに菩提心等の余行なしと言うは、何が故ぞ。第十九の願に云く、「発菩提心、修諸功徳」等と云々。是れ本願にあらずや。

とあることでも分かるでしょう。「阿弥陀仏の本願は48あるのに、なぜ他の願を無視して18願だけというのか」、「19願は本願ではないのか」と、聖道諸宗が法然聖人を非難しているのです。

このようなことですから、弥勒菩薩でも計らえないと言われる

仏智の不思議」=「如来の誓願」=18願

であって、19願・20願ではないことは明らかです。当然ながら、18願の世界に転入するためには19願、20願の道程を通らなければならないとかいう親鸞会流三願転入の教えは存在しません。


ところで、『末灯鈔』とほぼ同じお言葉を用いて覚如上人が仰っているのが『執持鈔』

往生ほどの一大事、凡夫のはからふべきことにあらず、ひとすぢに如来にまかせたてまつるべし。すべて凡夫にかぎらず、補処の弥勒菩薩をはじめとして仏智の不思議をはからふべきにあらず、まして凡夫の浅智をや。かへすがへす如来の御ちかひにまかせたてまつるべきなり。これを他力に帰したる信心発得の行者といふなり。
さればわれとして浄土へまゐるべしとも、また地獄へゆくべしとも、定むべからず。故聖人(源空)の仰せに、「源空があらんところへゆかんとおもはるべし」と、たしかにうけたまはりしうへは、たとひ地獄なりとも故聖人のわたらせたまふところへまゐるべしとおもふなり。


(石田瑞磨著『親鸞全集 別巻』による現代語訳)

浄土に生れるという、これほどの一大事について、愚かなものがさかしらな才覚をめぐらしてはならない、ただ一すじに如来におかませしなければならない。総じて愚かなひとに限らず、次の世に仏となってあらわれることが約束された弥勒菩薩をはじめとして、仏の智慧の不思議になまじいの才覚をしてはならない。まして愚かなひとの浅はかな智慧には、当然許されない。ねんごろに如来の智慧のお誓いにおまかせをしなければならない。これを、仏にすべてを託した、真実の信心をえたひとというのである。
だから自分から、浄土に行くことができそうだとも、また地獄に堕ちるかもしれないとも、決めてはならない。なくなられた上人<黒谷の源空、法然上人のことばである>の仰せられた言葉として、「源空の生れるところへ行こうとお考えになってください」ということをたしかにうけたまわったうえは、たとえ地獄であっても、なくなられた上人のおいでになるところへ行かなければならない、と思うのである。


です。先ほどの説明からも分かると思いますが、

仏智の不思議」=「如来の御ちかひ」=18願

です。逆にこうした18願、「仏智の不思議」になまじいの計らいを加え、19願・20願の道程を通らなければ18願の世界に入れないだとかいう邪義を正しいと思い込むことを「凡夫の浅智」というのです。

「仏智の不思議が分かるのは、51段高とびして仏智を体得した高森先生ただお一人だ」と思い込み、親鸞会流三願転入の教えとやらに騙されて多くの時間、金銭、労力を搾取されている会員の皆さんは実にお気の毒です。早く邪義を唱える人の手から離れて、「凡夫の浅智」を挟まずに「如来の誓願」に帰依して、報土往生を遂げる身となって頂きたいと思います。


【参照】
『飛雲』他力には義なきを義とす
『飛雲』法然上人・親鸞聖人を平気で非難攻撃する高森会長
『飛雲』「凡夫の浅智」以前に無智なんですよ
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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