親鸞会会員の誤解―方便だからやらなければならない(1)

会員の皆さんが大きく誤解していることの一つが

方便だからやらなければならない

というものです。これに騙されて、親鸞聖人が勧められなかったことを、さも勧められているかのように思い込み、また人にも教えるという自損損他に陥っている人が多いのです。『教学聖典(2)』では、

我々を真実に近づけ、真実を体得させるに絶対必要なものを言う。

と教え、あたかも方便とあれば「我々に絶対必要で実行しなければならないもの」という認識を植え付けています。これは間違いです。一口に方便といっても、我々に必要な方便とそうでない方便とがあるのです。


今一度確認しておきますが、方便には《善巧方便》《権仮方便》の二種類があります。浄土真宗では「随自意の法門」と「随他意の法門」とに分けて《善巧方便》《権仮方便》の立場を区別化されています。

「随自意の法門」とは善巧方便のことです。仏の自らの意にかなって用いられる教化の方法であるからそのように称されます。それは大智を全うじた大悲が巧みな方法便宜をもって衆生を済度されるという意味で、阿弥陀仏を「方便法身」というときの方便がそれです。『唯信鈔文意』において二種法身が語られる方便はこの善巧方便に該当します。

法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。この一如よりかたちをあらはして、方便法身と申す御すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまひて、不可思議の大誓願をおこしてあらはれたまふ御かたちをば、世親菩薩(天親)は「尽十方無碍光如来」となづけたてまつりたまへり。

法性法身自身が法性法身とはいかなる法身であるのかを巧みに表現するために、方便法身として「形をあらはして」説明されるのが善巧方便です。法性法身と方便法身は決して別物ではなく、ただ法性と対した時に便宜的に方便と称されているだけで、方便法身は法性法身の世界に達するまでの階梯といった意味ではありません。法性法身は全性修起して方便法身を全うじるものです。でありますから、真実の法門に入ったからと言って廃するものではありませんし、また廃してはなりません。


対して「随他意の法門」とは権仮方便のことであり、未熟な機は直ちに仏の随自意真実の法門を受け取れないから、その機(すなわち阿弥陀仏自身から見た「他」のことで、すなわち衆生のこと)に応じて仮にしばらく誘引のために用いられる教えをいいます。機が真実の法門に入ったならば、権化の法門は不要となり還りて廃せられます。このように暫く用いるが後には還って廃するような方便を権仮方便もしくは「随他意の法門」といいます。それは具体的には第十九願(要門)・第二十願(真門)の世界のことを指しています。

聖道権仮の方便に
 衆生ひさしくとどまりて
 諸有に流転の身とぞなる
 悲願の一乗帰命せよ
(浄土和讃)

このように祖師は自力聖道門の教えを「権仮の方便」と言われ、そこに久しく留まっていた故に流転を続けてきたのであり、そこを離れて悲願の一乗である阿弥陀仏の本願真実の教えに帰命しなさいと教えられています。その阿弥陀仏の本願にも真実(随自意)の法門と権仮(随他意)の法門とがあり、権仮方便である19願・20願の法門は化土に留まる教えであるからこれを廃し、18願真実の法門に帰依して報土往生を願いなさいというのが親鸞聖人のお勧めであります。

これによりて方便の願(第十九願)を案ずるに、仮あり真あり、また行あり信あり。願とはすなはちこれ臨終現前の願なり。行とはすなはちこれ修諸功徳の善なり。信とはすなはちこれ至心・発願・欲生の心なり。この願の行信によりて、浄土の要門、方便権仮を顕開す。(化身土文類)

とあるように、聖道門同様に19願も権仮方便の教説であり、真実18願の法門の前には不要となり還りて廃せられる教えなのです。


これが親鸞会では、《善巧方便》《権仮方便》とをごちゃ混ぜにして教えています。

従仮入真(「仮より真に入る」、または「仮よりしか真に入れず」と訓読させている)

の語を用い、18願の世界に転入するためには19願・20願の道程を通らなければならないなどと教えていますが、真宗に無知なのもいいところです。現在、仮にいる者に、仮を捨てて真へ入れというのが、仮より真へ入らしめる「従仮入真」という宗学用語なのです。

19願を実践してゆく先は臨終来迎、化土往生です。来迎にあずかれるかどうかは臨終まで不確定ですから「死ぬまで求道」です。そしてうまく化土往生できたとしても化土でまた修行して報土往生を目指すのですから「死んでも求道」です。臨終来迎にあずかれなければ当然自らの業に報いて六道を流転することになります。まぁ三悪道は免れないかと・・・。これが親鸞会の場合は外道の教え、阿弥陀仏を誹謗して慚愧あることない悪知識の教えを自らも信じ人にも吹き込むという罪を犯しているので、「必堕無間」もあながち間違いではないかも知れません。

ただ、今までの悪行を心から懺悔し、邪義とは決別し、大いなる慈悲の誓願を信じ念仏すればその行者をかたじけなくも阿弥陀仏は摂め取って決してお捨てになりません。早く邪義を授ける人の手から離れて、18願を直ちに聞き受けて念仏して頂きたいと思います。


【参照】
『用管窺天記』従仮入真
『元会員から見た浄土真宗親鸞会』従真垂化??ー「従真垂仮」と「従仮入真
『飛雲』”方便より真実に入れ”の正しい意味
『飛雲』善巧方便と権仮方便の意味を教えてあげてください
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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