自分の教義に都合が良いように、経典や聖教の内容を勝手に改変して慚愧あることない高森顕徹会長 ― 長者窮子の譬えについて

経典や聖教の一部を断章取義するのは朝飯前で、高森会長は自分の教義に都合が良いように、経典や聖教の内容を勝手に改変しています。既に多くのブログで間違いが指摘されている「二河白道の譬え」では、

・旅人は白道を一歩進んでは一歩戻り、三歩進んでは二歩下がるといった風で遅々として進まない
・進んで行くと周囲の群賊・悪獣・悪知識が「行くな」と反対し、次第に「殺すぞ」と脅迫してくる
・白道を進むのを諦めて戻ろうとすると、尊い人だけが「こちらの岸に本当の幸せはなかっただろう」と説き、「本当の幸せになりたかったら西へ向かってひたすら進め」と白道を行くことを勧めている


などといい、中々横の道を進めない様や、親鸞会への入れ込み様によって周囲の反対が増すこと、その中で高森会長や親鸞会の人間だけが「進め」と説いていることを、まるで善導大師が予見して仰っているかのように説いてきます。これを聞いて会員は、言われる通りだなぁと納得してしまうのです。


高森会長が利用している譬え話は何もこれだけではなく、「長者窮子の譬え」もそうです。長者が掃除夫に

口では何を言ってもいいから、お前の舌一つであの者(窮子)をここへ連れて来なさい

と命令する様は、高森会長の

「ワシの法話に誘って来い」
「親鸞会に入会させなさい」


という意思が見え隠れしています。また、「口では何を言ってもいいから」というところから、大学や社会人サークルでの偽装勧誘、正体を隠した勧誘も正当化されているのではないかと思います。

宗教のサークルですか?

の問いに、

違います

と答えるのがマニュアル化されていたりと、勧誘対象者にウソをついてもいい、仕方ないという考えが正当化、常習化されています。中には、こう聞かれたり、こう答えたりすることにヒヤリとしたり、後ろめたさを感じている(いた)方も少なくないのではないかと思います。講師部員や先輩が言うのには、「(勧誘対象者が考えているような)宗教ではない」ということなのですが、親鸞会とは、周囲の意見も聞かずに「誰が何と言おうと高森先生が正しい」と信じ込んでいる人の集まりなのですから、勧誘対象者が考えているような宗教そのものです。

この時期、例年ですと親鸞会の新勧合宿が行われている頃ですが、大学生で興味を持って聞き始めた方がいましたら注意して頂きたいものです。社会人サークルの方も同じです。親鸞会かどうか見極めるには、当ブログ

こんな話に注意!

のカテゴリにまとめてある内容をご覧下さい。また一万年堂出版『光に向かって100の花束』『なぜ生きる』等を出して話をしてきたら親鸞会である可能性が高いです。


大分話が逸れ、長くなりましたので今回は「長者窮子の譬え」について、誰が何の目的で説いた話なのかを紹介します。親鸞会製作の動画では

これは、私達を救うための阿弥陀仏の深い御心と、大変なご苦労を教えるためにお釈迦さまが作られた譬え話です

とありますが、目的も、作った人物も違います。譬え話が説かれている『法華経』信解品を読んでみますと、

爾の時に慧命須菩提・摩訶迦旃延・摩訶迦葉・摩訶目腱連、仏に従いたてまつりて聞ける所の未曾有の法と、世尊の舎利弗に阿耨多羅三藐三菩提の記を授けたもうとに希有の心を発し、歓喜踊躍して、即ち座より起って衣服を整え、偏に右の肩を袒にし右の膝を地に著け、一心に合掌し曲躬恭敬し、尊顔を瞻仰して仏に白して言さく、我等僧の首に居し、年竝に朽邁せり。自ら已に涅槃を得て堪忍する所なしと謂うて、復阿耨多羅三藐三菩提を進求せず。世尊往昔の説法既に久し。我時に座に在って身体疲懈し、但空・無相・無作を念じて、菩薩の法の遊戲神通し、仏国土を浄め、衆生を成就するに於て心喜楽せざりき。所以は何ん、世尊、我等をして三界を出で、涅槃の証を得せしめたまえり。又今我等年已に朽邁して、仏の菩薩を教化したもう阿耨多羅三藐三菩提に於て、一念好楽の心を生ぜざりき。我等今仏前に於て声聞に阿耨多羅三藐三菩提の記を授けたもうを聞いて、心甚だ歓喜し未曾有なることを得たり。謂わざりき、於今忽然に希有の法を聞くことを得んとは。深く自ら慶幸す、大善利を獲たりと。無量の珍宝、求めざるに自ら得たり。世尊、我等今者楽わくは譬喩を説いて、以て斯の義を明さん。譬えば・・・

とあって、それから「長者窮子の譬え」が説かれます。

信解品の前の譬喩品にて、釈尊は未来世における舎利弗の成仏を予言しています。お前は無量無辺不可思議劫の後に華光如来という仏になるだろうと。慧命須菩提、摩訶迦旃延、摩訶迦葉、摩訶目腱連らの四大声聞は、こうした自己の悟りのみを求める修行者である声聞が成仏できることを聞いて歓喜します。自分達はとても成仏などできない、仏のさとりとは縁遠い存在だと考えていたのです。それを釈尊が舎利弗を通して声聞でも成仏できることを説いたので、彼らは大いに喜んで、釈尊にそれまでお聞きした教義を譬え話で申し上げたというわけです。つまりは彼らの領解ということです。

無量の珍宝、求めざるに自ら得たり

とある「無量の珍宝」とは、仏のさとりであり、釈尊が仏のさとりを得て惜しみなく与えて下された深遠無量の教えのことです。ですから「長者窮子の譬え」とは、

慧命須菩提、摩訶迦旃延、摩訶迦葉、摩訶目腱連ら四大声聞が釈尊に自分達の領解を申し上げたもの。自分達には関係ないと思っていた仏のさとりを得られるのだと喜び、この『法華経』を説くまで小乗の教えを説いて長い間じっと見守ってきた釈尊の慈悲と方便の姿を譬えた話

だということです。譬え話の後、四大声聞は

・世尊大富長者は則ち是れ如来なり。我等は皆仏子に似たり。
・今此の経の中に唯一乗を説きたもう。(中略)今法王の大宝、自然にして至れり。仏子の得べき所の如き者は皆已に之を得たり。


と申し上げていることからも分かるように、

長者 → 釈尊(如来)
全財産 → 仏のさとり、法華一乗の教え


だということが分かるでしょう。原典を読む限り、長者が阿弥陀仏、全財産が南無阿弥陀仏だというのは無理な気がします。個人的にどう味わおうと構いませんが、誰が何の目的で説いたのかを誤りなく伝えなければ”珍らしき法”になってしまいますよ、無二の善知識様。



【参照】
『法華経』信解品
『法華経』信解品 現代語訳
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淳心房&しゃあ

Author:淳心房&しゃあ
(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


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平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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