「1億円の融資」から推測される、高森顕徹会長の深い欲望

親鸞会では「難度海を度する大船」「大悲の願船」という言葉を頻繁に使用し、アニメでも実写化して見せています。それはさながら鰹節を削ったようなボートだと揶揄されていることはご存じかと思います。

アニメ映画『なぜ生きる』を見た聴衆(会員?)が

「私も(大船に)乗せてもらえるのかしら?」

と声にしているそうですが、これは阿弥陀仏の本願に対する疑いの声なのだそうです。しかし、初めて見たような人ならともかく、何十年と聞いている人に対しても疑いを除かせないようにしているとは、高森会長の罪の深さが知らされます。本願を信じ念仏すれば仏に成る、煎じ詰めればこれだけの話を、やれ宿善を求めよ、やれ六度万行だ、やれ廃悪修善だ、やれ19願だ、やれ三願転入だとどれだけ真宗と無関係な教義を説いて会員の獲信・往生を妨げているのでしょうか? 本願に対する疑いの例え話として、先日の講師部講義では

ある銀行が「すべての日本人に対して1億円融資します」と広告を出した。「銀行は私に貸してくれるだろうか?」と思うのは、その広告を知らないか、その広告を疑っているから

と説明したそうですが、「融資」というのが面白いですね。実に高森顕徹会長らしい例えです。

融資」とは当然「借金」のことですが、そう言えば入会の際に下付される親鸞会版の携帯用正御本尊は「贈与」ではなく「貸与」です。一時的には与えるが、後で取り返す気まんまんというわけです。親鸞聖人の教えは「本願力回向」、一方的に与える教えなのですが、高森顕徹会長は「回向」「回施」「布施」という言葉の意味すら知らないのでしょう。入会金5万円と引き換えに安物のコラージュ本尊を貸し与え、形だけでも仏凡一体にしてやったんだから有難く思えとでも言いたいのでしょうか。そして私のものになったのではありませんから、家族に引き継がせることもできません。親鸞聖人は

ときに祖師の仰せにいはく、「本尊・聖教は衆生利益の方便なり、わたくしに凡夫自専すべきにあらず。いかでかたやすく世間の財宝なんどのやうにせめかへしたてまつるべきや。釈親鸞といふ自名のりたるを、〈法師にくければ袈裟さへ〉の風情に、いかなる山野にもすぐさぬ聖教をすてたてまつるべきにや。たとひしかりといふとも親鸞まつたくいたむところにあらず、すべからくよろこぶべきにたれり。そのゆゑはかの聖教をすてたてまつるところの有情蠢々の類にいたるまで、かれにすくはれたてまつりて苦海の沈没をまぬかるべし。ゆめゆめこの義あるべからざることなり」と仰せごとありけり。(外邪鈔)

と、離れてゆく弟子に与えた本尊・聖教を取り返そうとしなかったのに、これが

なにごともなにごともしらぬことをも、開山のめされ候ふやうに御沙汰候ふ(御一代記聞書159)

と根拠も出して説いている者の姿なのでしょうか。形だけでも仏凡一体にしてやったんだから(貸与)、その恩を感じて、これから本当の仏凡一体の身になりたければ高森先生への報恩(返済)をしなさいとでも言いたげです。以前に高森会長は「二千畳は無上甚深の功徳の宝を取引をするところ」とか宣ってたらしいですから、無上甚深の功徳の宝と引き換えに金銭、財産、労働力を捧げよということなのでしょう。それでいて無上甚深の功徳の宝は正しく説き与えず、捧げ物だけ頂くという、高森顕徹会長の深い欲望が感じられます。


無上甚深の功徳の宝である南無阿弥陀仏は、そのいわれをよくお聞きすることで私と一つになると教えられます。果てしなく迷いを重ね、しかもそれを自分ではどうすることも出来ない私を哀れに思召して、「我一人助けん」と五劫永劫の願行を成就され、なんまんだぶとなって既に私の元へ届いているその名号を、計らいや先入観を交えたり、我が胸に持ち替えたりせずにそのまま聞き受け念仏のみです。念仏とは私の口で「なんまんだぶ」と称える行為だとしか思えないかもしれませんが、念仏とは阿弥陀仏より回向せられる選択本願の大行でありますから、正しく往生が決定する行業なのであります。阿弥陀仏が「なんまんだぶ」せよと仰っている、その仏願に順ずるから称名を正定業というのです。

弥陀の本願と申すは、名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候ふなり。(末灯鈔12)

「名号を称える者を極楽へ迎える」という本願の誓いを深く信じて念仏するのが、阿弥陀仏のお心にかなうことなのです。救いを匂わせ、現世利益をちらつかせて聞く者を釣り、己の深い欲望の実現に会員を利用するだけして信心を獲させない高森顕徹会長のやり方は実に卑怯で許されるものではありません。

さてさて開山聖人(親鸞)の御流を申しみだすことのあさましさよ、にくさよと仰せられ候ひて、御歯をくひしめられて、さて切りきざみてもあくかよあくかよと仰せられ候ふと[云々]。仏法を申しみだすものをば、一段あさましきぞ(御一代記聞書241)

蓮如上人のこのお言葉は、高森顕徹会長の言動に対して言われているように思えてなりません。会員の皆様には、どうかこのような開山聖人の御流を申しみだすあさましい新興宗教の会長から離れて、本願念仏の教えに帰依して頂きたいと思います。
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淳心房&しゃあ

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(淳心房)
平成21年10月に親鸞会を退会し、「親鸞聖人の正しい教えを真偽検証する」ということで、専らコメンテーターとしてやってきました(^^)v
しかし、ようやく自分の中での真偽検証は終了したので、名前も改め、淳心房と名乗ります♪
ただし「真偽検証」は今まで馴れ親しんだ名前ですし、親鸞会教義が親鸞聖人の正しい教えなのかどうなのか、一人一人が真偽を検証して頂きたいと思い、ブログのタイトルとして残しました。
一人でも見て下さる方があれば幸いです☆


(しゃあ)
平成21年8月に親鸞会を退会しました。淳心房さんと共同でブログを書いています。何かありましたらメール下さい~
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